どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/4日目⑤…(南相馬市)小高がとりもつ縁

-No.1373-
★2017年06月25日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 2299日
★ オリンピック東京まで → 1125日



◆手づくりの面影

 現在ぼくは、「よみうりカルチャー荻窪」というところで、〈木工〉教室の講師をしている。
 男女は問わないのだけれども、ずっと女性ばかり、それも、ベテランの域に達した方ばかり。

 在籍5~6名ほどの、人数からすればまぁ流行らない。 
 でも、ノコギリなどの刃物・道具を使う教室としては、これくらいがいいところ。

 どなたも、モチーフは「つくりたい」気分。
 「つくれるものなら手づくりしたい」意欲の、ぼくはサポートをする。

 〝不器用な人〟はいない。
 必要な技は、なにかをこしらえながら、身につけてもらう。

 そのために、はじめに手がけてもらう課題がいくつかあって。
 そのひとつが「A4整理箱」。
 
 吉野ヒノキの節なし無垢材で枠組みをし、持ち手(把手)と、底と、ふたと、を付ける。
 おなじものを拵えても、つくる人ひとりひとりの個性によって、表情のちがうのがおもしろい。

 けれども、どの作品も、仕上がったときを最後に、ぼくの前から去っていく。
 達成感とともに作者が持ち帰るものだから、やむをえない、のではあるけれど。

 一抹のさみしさが、いつもつきまとう。
 仕上りを写真にのこせても、実用の場面に立ちあえるわけではない。

 そんな、ありがたい場面に、ひょんなことから出逢えてしまった。
 Nさんの拵えた「A4整理箱」が、三つ指ついて、楚々とこちらを見上げていた。

◆さまざまの人…さまざまな被災…

 そこは、小高駅前に開けた町並みから、しばらく入った田園の里山
 大きな農家が、ぽつぽつと散在する風景の、なかの一軒をお訪ねしたのは一昨年夏のことだった。

 〈木工〉教室に在籍するお一人、Nさんが福島県南相馬市小高区の出身で、その実家がF1(福島第一原発)爆発事故に遭い、一人暮らしのお母さんがいまは避難生活をしておられるということは、あれから間もなく聞き知っていたのだけれど。
 それより先はプライベートなことゆえ、遠慮もあって、その近くを通るときに思い出す程度であった。

 潮目がかわったのは、避難指示解除のうごきが報じられた頃から。
「母は家に帰りたいといっています」
 まだお友だちの誰も戻っていないのに、と当惑するNさんの話しを聞いて、お母さんの帰りたがっている家がいまどうなっているのかを、知りたくなった。まことにお節介なことながら、他人ごとに思えなかった。

 訪ねた日は、あいにくの雨模様。
 Nさんから教わった住所だけが頼りのカーナビ・ガイドは、目的地に近づいたところまで、「ここ」と特定はしてくれず、尋ねる人もアテもない。範囲を広げたエリアを探しまわって、ようやく1軒、住む人のいる家を見つけ、なんとか話しが通じて、その家を訪ねあてることができた。
 
 ご近所情報を提供してくださったこのお宅は、たまたま、まもなく除染作業がおこなわれることになって、様子を見に来たとのこと。
 Nさんのお母さんの家の除染は、まだこれからだった。

 表の道から少しひっこんだお宅は、4年半の間に丈高く生い茂った雑草のなかにあって、閉じた門口の郵便受けにも表札はなく。
 それでも、雑草に〝埋もれかけた〟ほどでもなかったのは、この家が庭も住いの造りも大きくしっかりできており、日頃の手入れもゆき届いていたからだろう。

 《11.3.11》後に親しくなった被災地の家々で、ぼくらボランティアがよく口にした冗句に、「もうしわけないけれど、こんなことでもなければお近づきにはなれなかったかもしれない」というのがあった。
 これも、真実のひとつの側面であった。

 このときは、家のまわりの状況になにか不審なことはないかを観察、Nさんに電話で確認の報告をして、辞去した。
 ただし、お母さんはこれらわが家まわりの諸事情、たいがいのことは把握されていたようである。

 その1年後に、Nさんのお母さんは帰宅。日用の買い物は週に1度の移動スーパーでまにあわせている、とのことだった。
 それから、さらに1年後の、このたびの訪問。
 ひととおり除染の済んだ後に、私費で手入れの人手を頼んだのであろう、お庭はすっかりきれいになっていた。

 笑顔で迎えてくださったお母さんの面ざしは娘さんに似て…長女だったNさんは誰よりだいじに育てられたらしい。

 そんな、こんなの想いで語りのなかに、「娘からプレゼントされた箱」の話しがこぼれ出て。
 見せてくださったのが、Nさんが〈木工〉教室で拵えた「A4整理箱」。
 お母さんはそれを文箱に、重宝してくださっているとのこと。

 それが、ぼく自作の品であったら、きっと「嫁にやった娘に逢ったよう」であったろう、が。
 この場合には、もうワンクッションがあって、まるで「孫にでも逢ったよう」な不思議な気分がしたことであった。

 大きなお家にひとり暮らしのお母さんは、暮らしのスペースを玄関まわりに集約して、しっかりバリアフリー仕様、「怖い」防犯のことは専門のセキュリティー会社に依頼して、ご自身は庭の手入れに励んでおられるという。

 この里山の、これからがどうなっていくのか、それだけが気がかりなようすの、お母さん。
 屈託なく振る舞われる方には、「どうか足腰にご無理をなさいませんように」お願いして別れた。

 晴れ晴れ気分にかまけて、きれいになったお庭を写真に撮るのも忘れて……

 したがって、下の写真はいま現在ではない、一昨年夏、除染以前のもの。
 きれいになってからの風景は、たくましく想い見ていただきたい。