どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/4日目④…南相馬、小高の人々

-No.1372-
★2017年06月24日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2298日
★ オリンピック東京まで → 1126日








◆小高のおばさんトリオ「〝3B〟+1」

 F1(福島第一原発)爆発事故から、この春を迎えて6年。
 5年後の昨年7月には、避難指示が解除された南相馬市小高区だが、政府がいうような「ふつうに暮らせる場所」になっていないことは、人口が震災前の1割弱(17年3月現在約1,200人、震災前が約15,000人)しか戻っていないことからも知れる。

 市街地でも郊外でも、持ち主が戻らずに空き家のままの住居が目だち、それはいまの住環境に安心などできないからだが、そのことが町の復興にブレーキをかけているのも事実だった。
 もとの住民が、帰還か転出かをためらって手離せないでいる住居地には、住み替わる新しい住民もまた入ってこられない。
 これは原発事故被災地のどこもが抱えるジレンマである。

 そんな小高区でふんばる、おばさん〝3B〟トリオについては、これまでにもふれてきた。
【たとえば、-No.0688-2015年8月10日(月)記事『《11.3.11》福島巡礼2015夏⑨南相馬市小高/「浮船の里」は繭から糸を紡ぎはじめたばかり…』http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8454420450104592337など】

 このたびも訪ねる、新たな「〝3B〟+1」の「+1」には、支援の人たちに「あなたも一緒に」の願いがこめられている。
 (いうまでもないと思うが…〝3B〟は〝3ばば〟の冗句だ)
 避難指示解除をうけて、気もちもフレッシュにということだろう。

 まず、「浮船の里」に久米さんを訪ねる。
 〝お蚕さん”を飼って糸を紡ぐことから、だんだんに、積みかさねてきた活動は順調に進んで、現在は「織姫クラブ」の参加者もふえ、「みもろね」という名の絹糸ピアス製品もできていた。

 久米さんの案内で、震災被害の大きかった小高区の海岸部と、お隣り浪江町を観てまわったのは一昨年15年8月のことだった。
 津波に浚われた後の耕地に、小分けに並べられたフレコンバッグ群があちこちに散らばり、被災し傾いたままの民家がその間に散在、汚染土入りの巨大袋を寄せ集めるかたちのフレコンバッグ団地が再整備されている段階だった。
 汚染土の大規模処置用地の取得が難航し、いっぽうではまだ、各地で除染作業がつづけられてもいた。

 途中、2度3度と検問所を通った。
 バリケードに張り番の警備員が立ち、許可証のない車は通れない。
 F1(福島第一原発)に近い浪江町の市街は人影のないゴーストタウンであった。

 いま政府は、その処理に窮した汚染土を始末する方法として、汚染レベルの比較的低い土砂を〝建設資材〟として転用しようとしており、そのための実証事業が、小高区の海岸部でも進められている。
 要は、汚染レベルの低い土砂をよりわけて積み上げた盛土の上に、汚染のない土を厚さ50センチばかりに覆う、というのだ。

 話しとしては、わからないでもない。ほかにどうしようがあるのか…というところへ、いずれいくしかないのだろう…が。
 気がかりは、それに、どれほどの安全策と気くばりがなされるものか、わからない。いずれにしても、他人のすること。

 その人…日本人というのが、ずいぶん変質しちまっている気がしている。
 たとえば〝潔癖〟という性情には、ややもすればいきすぎがあるかもしれない、けれど。
 かつては日本人にいちばんの美徳であったはずの〝潔さ〟までが、塵芥〔ちりあくた〕のごとくにうち捨てられてしまい、「汚れっちまったものはどうにもならん」気分ばかり蔓延するのが、ぼくには寂しく、口惜しく思えてならない。
 (そんなんじゃないだろう…ニッポン人)

 ……………

 常磐線、小高駅前通りにできたばかりの「小高工房」へ、「〝3B〟+1」のあとお二人、廣畑さんと小林さんを訪ねる。
 廣畑さんは住民交流の「おだかぷらっとホーム」をつくった人、小林さんは駅前の旅館、二葉屋の女将さん。

 「小高工房」は、住む人なく取り壊しになるのを待つばかりだった民家を、リフォームするなどして再生、コ・ワーキングのスペースや新規事業・事業再開に役立てていこう、というもの。
 クラウドファンディング「レディーフォー」を通じての資金づくりも進めている。

 どんなに巡り歩いても、ぼくは余所者ゆえ、ほんとうのところは正直、よくわからない。
 小高というところに、どれほどの魅力(他所からの入り込みを誘うもの)があるものか。
 それよりも、きっと、原発爆発事故とその補償という一大事を機に、平衡をうしなってしまった原住民たちの心もちの復興、もとの、まともな暮らしぶりへの復帰の道のりと、とらえるべきなのだろう。

 ぼくなりに解釈すると、そういうことになる。 
 どこの土地でも「ほかにはないよさ」と仰る、それが真に説得力をもつのは、結局、その土地人ひとりひとりが、どれほど深くまで(他所とくらべたときの)その佳さを理解しているか、愛しているかにかかっているからだ。

 つまり、「みずからの身の丈を知っている」ことが、なによりの強みなのだと思う。
 「〝3B〟+1」には、「お元気よう!」のメッセージが、なによりも似あう。