どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/4日目②…松川浦大橋が開通、松川浦新漁港が復活

-No.1369-
★2017年06月21日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2295日
★ オリンピック東京まで → 1129日










◆「ほんとかよぉ!」

 相馬市街から海辺へ、松川浦へ。
 見馴れてきた道すじ、見馴れてきた風景。

 相馬港の南の端にある原釜の漁港へ。
 《11.3.11》の翌春、1年がすぎても、まだ。
 ここから汐入の水路を入った松川浦まで、ひっくるめてすっかり、大津波に洗われ浚われつくした情景はまったくのところ言語に絶して。
 震える手にメモ用紙をとることもできずに、ぼくは、
「酷いデス…ここも凄まじい…というほかに、ことばが見つかりません」
 やむをえず、ボイスレコーダーに声をしぼりだすしかなかったことを、くりかえしどんなに想いだしたことだろう。

 そのとき以来、定点ウォッチポイントになった、埠頭から松川浦大橋を望む風景。
 防波堤に打ち上げられたままになっていた破船がとり除かれ、瓦礫の撤去がすすみ、新装なった岸壁に魚市場棟の建物が復活してもまだ、大橋前の信号はずっと「赤」で、大洲海岸への通行止めはいっかな解除にはならなかった。
 通行止め柵の前に立つ警備員の姿がずっと定番だった。

 待ちきれない心もちがして、反対側の大洲海岸からアプローチをこころみたこともあったが、鵜の尾岬の灯台がまだ遠いところまでで行き止まり。
 いつになったらこの〝通せんぼ〟はなくなる……
 ずいぶん恨めしい想いをしつづけてきたのだったが。

 それが、なんと、このたびばアッケラカンとウソみたい、すべての規制がなくなっていて、てんで、どうしようもなく拍子抜け。
 ゆるゆると松川浦大橋の高い橋上を渡りながら、ぼくは「ほんとかよぉ!」と叫びたいくいであった。

 結局、通行止めの柵は橋を渡りきってすぐ先に移されてあったのだ、けれど。
 こんどは〝通せんぼ〟感がまるでない。
 ここまで工事が進めば、全線開通まではもう間もないにちがいない。

 鵜の尾岬の灯台を間近に仰ぐ浜は痩せていた、が。
 コンクリートの匂いもまだ真新しい岸壁では、気もちよく晴れわたった空の下、漁師たちが仲間としきりに話しをかわしながら網の準備に余念がなかった。
「う~ん、まぁだ、これからダ…な」
 口は寡黙な、けれども彼らの笑顔が潮風に光って見える。

 この笑顔を発泡スチロールの送り箱に貼り付けてやったら、風評被害も一掃できるのではないか…そんな気がする。