どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

補聴器と声のバリアフリー…そして『聞き間違えない国語辞書』

-No.1366-
★2017年06月18日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2292日
★ オリンピック東京まで → 1132日









◆音声表現のバリアフリー

 ぼくは〝難聴〟です、両耳に補聴器を装用している。
 …といって、〝両耳装用〟だから程度が重い、というわけではなくて、それはより聞こえを良くするための方便にすぎません。
 聴覚検査による診断によれば、ぼくのは〝中度〟の難聴。

 静かな環境で、明瞭な音声での会話のやりとりなら問題ありませんが、騒がしいなかでは高音域の不明瞭な声が聞きとりにくいか、聞きとれません。
 これ、りっぱな〝障害〟ですが、周囲はなかなか認めてくれません。

 まわりに理解がないばかりでなく、本人もまた〝障害〟とは思わず、自覚もしない欠点があります。
 ぼくもそうでした、人の話しが聞きとりにくいのは、話し手の発音がよくないか明瞭度がわるいのだとばかり、ずっと思ってきました。ひょんなことから聴覚検査をうけてみるまで…結果にビックリ愕然。

 まわりの人の〝難聴〟への対応も、似たようなもの。心底、思いやってはもらえません。
 他人〔ひと〕の身になることじたい、とてもむずかしいことですから、やむをえないのではありますが。

 たとえば、声が小さい(上品なのとは別デス)、発音が不明瞭、語尾が消えやすい話し方、などなど。
 ほんとうのことを言えば、口をきちんと開いて話してくれるだけでも、いいんですがネ…。

 聞きとれないので「スイマセンもう一度ハッキリ」とお願いしても、あいかわらず同じ調子でのくりかえし。
 話し方をくふうしてくださる方でも、いちど話しが通じると、なぜかあとは、またもとに戻ってしまう。

 医療関係の仕事にたずさわる方が相手でも、事情はほとんどかわりません。
 話しがよくわからないの → 耳が遠いのね → しょうがないなぁ…でおわっちゃう。
 〝難聴〟という障害を思ってもみてくれません。

 〝視覚障害〟者には、鉄道ホームから転落の危険がある、とすれば。
 〝聴覚障害〟者には、道路で自動車の接近に気づけない危険がある、わけですけれども。

 〝視覚障害〟にくらべて〝聴覚障害〟は認知がおくれている気がします。
 ぼくは、おかげさまで、まだなんとか自身で注意できていますけれど。
 認知症とおなじで、高齢になるほどリスクは増します。

 そのぼくは、北里大学病院の補聴器外来で定期的な検査と診察をうけています。
 先日、患者の「補聴器装用の実態」を調査させてほしい、ということで協力を承諾。
 より高度・精密な聴覚検査をしてもらいました。
 結果は…まぁ、〝中度〟にかわりはなかったわけですが。

 ひとつハッキリしたことがあります。
 それは、「聞こえ」はつまるところ「脳の認識と理解」の問題だということ。
 つまり。「聞こえ」はしても「認識がちが」えば「聴こえた」ことにならない。

 聴覚検査に、五十音の短音の聴きとり、というのがあって。
 発音の大小や、状況の変化(静謐のもとか雑音のなかかなど)で、どこまで聴き分けられるかを、試されました。
 それでじつは、〝難聴〟の障害の多くは「聴きちがい」に起因すること、「聴きちがい」を少なくするには「言いかえが有効」なことに、気づかされました。

 こういうこと、デス。
 五十音の母音「あ、い、う、え、お」に、それぞれの子音群がある。
 たとえば「あ段」なら「あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ」というように。
 …で、この同じ段の子音同士というのを、「聴きちがい」やすい。

 実際に、ぼくには「」だか「」だか、「」だか「」だかがよくわからず、虚をつかれたぼくの脳はその認識に迷うことになりました。
 これを、会話のなかの単語に例をもとめると。
 「くしゅ(握手)」と「くしゅ(拍手)」を聴きちがえやすい。
 ならば、「手を握る」「手を叩く」に言いかえればイイ。

 ついでに、これは話し手の側のこと、表現法になりますが。
 じゃ聞き手の側、受け手として、ただただ話し手の表現努力に待てばイイのか、ということがある。
 とうぜん、そりゃナイでしょう、いうまでもない。

 「聞きちがえ」やすい子音群を課題に、認識の補正につとたらイイんじゃないのか。
 年寄りには年寄りのとるべき途というものがある…ことに思い至りました。

 そんな折も折(こんなこともあるか…)、天与のこと、としか思えない記事を新聞に見いだしました。
 「相手の話しが聞きづらくなる」高齢者の悩み解決に、話しかける側が言葉の言い換えや発音をくふうしようという、バリアフリー研修の取り組みが進んでいる、というのです。

 まずはサービス関係の業界を主に、はとうぜんでしょうね。
 これからはイヤでも高齢者が大多数をしめていくことになるのですから。

 日本の補聴器メーカーの大手パナソニックは、言い換え用スマホ向けのデジタル『聞き間違えない国語辞書』を開発、これを活用した話し方研修講座を企業向けなどに開催。
 NPO「日本スピーチ・話し方協会」でも、同様の活動に力をいれている、ということデス。

 いいですね。
 でも、そこでたいせつなのは頼りきりはダメよ、ということ。
 受け手の側にも、それなりの心がけがなくちゃいけません。

 それは「つう(普通)」ですか、「つう(苦痛)」ですか。
 ほしいのは「んきゅう(連休)」ですか、「んきゅう(電球)」ですか。

 ところで、あなた「とう(加藤)さん」でしたっけ、それとも「とう(佐藤)さん」……