どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/3日目③…飯舘村、山津見神社の天井画オオカミ絵

-No.1365-
★2017年06月17日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2291日
★ オリンピック東京まで → 1133日
















◆どうなる飯舘村民〝帰還〟の動き…

 飯舘村の北のはずれ、霊山町との境近くにあるオオカミ(白狼)伝説の山津見神社へ。
 祭神の山の神「大山津見神」には、国生みの伊邪那岐神伊邪那美神御子神とされる由緒が伝わる。
 ここは、再訪。

 参考までに、前の記事は3年前の春。
 -No.0280-2014年6月28日投稿『人無き家や田畑でつづく除染作業…飯舘村/《3.11》2014年春の巡礼15日目(4月17日)』だった。
ログイン - はてな

 ぼくは、日本ではすでに絶滅したといわれるオオカミという動物に、ふかい愛着をもつ者だ、けれど。
 このときの訪問は、放射性物質の〝ホットスポット〟と呼ばれるところが、どういう地理的条件をもつ存在なのかを体感しておきたかったからだった。
 そうして、実際に行ってみればなるほど、風の通り道にあたって深い森をなすそこは、(降り積もり蓄えうる)環境にあることが実感された……

 さて、そこで、お礼の参拝を思ったところが、社殿がない。
 拠りどころを探しもとめると、ビニールシートで覆われたところが、どうやら仮殿らしく、そこで宮司さんにお目にかかることができた。
 事情をうかがうと、あの震災大津波原発爆発事故のあと、たびかさなる不幸の火災(13年春)に遭って拝殿を焼失、原因は不審火とのことだった。その拝殿天井は、およそ240枚といわれるオオカミの天井絵で飾られていたという。
 「惜しいことを」との思いから、わずかながらの金一封を置いて帰ったものだった。

 その後、文化財修繕に携わる東京芸大チームのおかげで天井絵が復元(16年春)され、追って焼失した拝殿の再建(同年初夏)も成ったことから、天井絵は無事復活(同年冬)。
 それを新聞報道で知ったぼくは、信仰の力づよさに驚嘆したものだった。

 もともと、あの原発爆発事故騒ぎにまきこまれるまでは「日本で最も美しい村」連合に加盟していた飯舘村
 唱歌『故郷〔ふるさと〕』そのままの山川田野がうしなわれたわけだはなかったけれども、見た目の風景だけはのこって住む人のない環境はもう自然とはいえず。
 「風景というものは、そこに人の営みがあってこそ」といわれることのたしかさを、あらためて思い知らされる。

 そんな村のなかでも山間の佐須地区。
 3年前には山津見神社周辺の農家に人の気配すらなかったのが、このたびは姿こそ見えなくても、そこここに、そこはかとない生活の匂いがただよっている。それだけで風景が活きてきていた。

 拝殿に仰ぎ見るオオカミたち、さまざまな姿態・生態の天井絵にも生命感が薫っていた。
 が、あの宮司さんの姿は見えず、現在の若き権禰宜さんに尋ねると、前宮司はわけあってここを去られたとのこと。
 くわしい事情は知るべくもないが、この6年という時間の不条理を想わないわけにはいかなかった。

 ……………

 山津見神社から下って県道12号(原町川俣線)に出ると、深谷のあたりで活況の槌音が響いて、聞けば「道の駅ができる」とのこと。愛称の「までい館」、「までい」とは土地の方言で「手間をかける」こと。飯舘村はもともと「までいの村」で知られていた。
 道の駅は、ことしの夏休み中にはオープンの予定という。
 
 この県道沿いにも施設建物がいろいろ、車の通行量にも目を瞠らせるものがあって、やはり気もちの張りを覚える。
 
 南相馬市を目指して走る県道12号、飯舘村の名産は飯舘牛だが、途中の緑の牧野には草を食む馬たちの姿が見られ。
 村と市の境、矢木沢峠付近には「復興トンネル建設中」の看板文字、峠道のカーブをなくすバイパスが通るらしい。

 あれこれいろいろ、にぎやかな人車の動きが、ふるさと飯舘村に帰還したい人たちの背中や肩を押すことになるのかも知れない、と思えば他所者にもウレシイ気分だったが…。
 万が一、それが掛け声だおれにおわったときの反動を思うと、また肝が冷える。

 来年の夏くらいまでには、そうした帰還の動向のほどを、判断する材料が揃いそうな気がする……