どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/3日目①…猪苗代湖から〝浜通り〟まで

-No.1362-
★2017年06月14日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2288日
★ オリンピック東京まで → 1136日






猪苗代湖の朝

 2日目、5月17日の泊まりはグランドサンピア猪苗代リゾートホテル。
 「宝の山」磐梯山麓にあって、ついこの4月までゲレンデに遊ぶ人たちの姿が見られたスキー・リゾートである。
 〝表磐梯〟に宿をとるのははじめてのことだった。

 目覚めた翌朝、早暁、ホテルの部屋の窓からは、眼下に猪苗代湖の薄い朝靄の景が広がっていた。
 すると、ぼくの脳裡にはセピア色に古びた映画の冒頭の場面がフェードイン。
 囲炉裏端に寝かされていた幼な児が、囲炉裏に落ちたはずみで、自在鉤に架かっていた鉄瓶だったか鍋だったかの熱湯を浴び、泣き叫ぶ声が雪の猪苗代湖畔に響き渡る……

 それは小学校にあがって初めての映画鑑賞会で観た、題名は忘れたが野口英世医博の偉人伝であった。
 このときに負った左手の大火傷がきっかけになって、清作少年は長じて医学を志すことになるという…子ども心にはなんともフクザツ混沌としか言いようのない印象をあたえれらた記憶がある。
 猪苗代という湖の名も、そのとき、その厳冬の寒々と凍てつく情景とともに脳裡にきざみつけられた。

 まさにその湖畔の景が、眼下に目覚めのときを迎えていた。
 きのうも述べたように猪苗代という湖は、余所者にとっては、湖畔に近寄りがたいところがあって損をしている。

 しかし、いま、湖畔の北岸低平地に、早春の、鏡面のごとき水田の広がりを見せる姿は…たとえば〝弥生の世〟…あるいは国の〝まほろば〟…というのはコレではあるまいかと想わせるものがあった。
 ぼくはコーヒーカップを手に窓辺に佇み、それから小1時間ものあいだ、そんな原風景に目をうばわれつづけた、鏡のような水田の面にやがて陽が射し染め、朝風が漣をたてるまで……

 ホテルの駐車場の脇に、赤い昔のポストが「一緒に写真を撮ってよ」と言わんばかりに微笑んでいた。
 きのうは「はじまりの美術館」に、紙粘土かなにかで造形された〝遠い記憶のなかのポスト〟とでも名付けたいアーティストの造形作品を観たばかりで、ぼくはなぜか、この退役ポストのきわめて息の長い存在感に頭の下がる思いだった。
 それには〝郵便〟以前の〝逓信〟の匂い、「順次にとりついで音信を通ずる」カタチが見えるようだった。

 会津には、きのう別れを告げてきた。
 ここ〝中通り〟から、きょうはこれから〝浜通り〟を目指す。

 時間距離からすれば磐越道から東北道経由になる、が、ぼくは思うところあって安達太良山山麓あたりを逍遥する国道すじを選び、まずは裏磐梯へと上り抜け、五色沼の先から〝磐梯吾妻レークライン〟へ。

 裏磐梯は、ぼくら夫婦そろって、〝ラングラウフ〟という歩くスキーに邂逅した地。スノーモービルの愉しみにも出逢ったところで、とりわけ想い出がふかい。
 レークラインには〝三湖台パラダイス〟と呼ばれる展望所があり、秋元・小野川・桧原の〝裏磐梯三湖〟に磐梯山をくわえた眺望が愉しめる。

 新緑の瑞々しく風薫るなか、初啼きのウグイスが「ホ~、ホッ、ケッキョ、ケキョ」とたどたどしく、まだつかえつかえしながら懸命に啼きの修行の声が、ぼくらはたまらなく好きだった。
 そのウグイスたちも盛夏の頃になれば、立派に〝谷渡り〟の美声を林間に響かせるようになる。

 レークラインから安達太良の北麓を巻いて、二本松市へと下る途中、磐梯吾妻スカイラインへの入口を見送る。
 このルートを選んだわけは、阿武隈川が気になっていたから。

 那須岳に源を発して福島県を北流、宮城との県境を東に流れてやがて太平洋にそそぐ。阿武隈川がいまだに、その上流地域にいたるまで〝遊漁自粛〟をつづけている。
 山林を除くかぎられた土地は〝除染〟できても、水系から放射能汚染をとり除くことは至難、というか不可能なことで、あとはただひたすら自然減衰の時の流れにゆだねるしかない。
 農作物の汚染に神経を尖らす人々にも、あんがい水の中への関心は薄い。

 ぼくは、できれば、阿武隈川のどこか一ヶ所でもいい、そんな世に警鐘を鳴らせるような情景に出逢えれば…と思っていたのであったが。現実には、ただの通りすがり程度でモノにできるほどアマイものではなかった……