どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/2日目④…「はじまりの美術館」猪苗代町

-No.1361-
★2017年06月13日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2287日
★ オリンピック東京まで → 1137日








◆〝感覚〟のちがい…〝実感〟の落差

 時間がゆるすかぎりは、その土地々々の表情とふれあえる一般道を走るのがぼくらのスタイルだ、けれども。
 やむをえないとき、気分をきりかえる必要のあるときは、高速道路を走ったり、自動車専用道路をとばしたり。

 2日目のラストステージ、猪苗代湖畔を目指しては磐越道走りで〝気合〟を入れなおす。
 つよい暑気のせいで、予想外におおきいエネルギー・ロスに身体が悲鳴をあげていた。

 猪苗代湖は大きな湖だが、湖岸の平坦なところには田が開かれていたりするからだろう、余所者は湖畔に親しみにくい。
 こんども、湖畔でひと休みしたいと思いながら 車窓に水面を覗いたきり。
 市街地に入って、目的地に着いてしまった。

 訪ねたのは「はじまりの美術館」。
 「あなたが感じていることと、わたしが感じていることは、ちがうかもしれない」展というのを、7月9日(日)までやっている。

 ぼくがこの美術館を知ったのは、新聞取材にこたえた館長、岡部さんのコトバ。
原発事故によって福島県は障害を背負った」
 だった。
 (そうだな)
 素直にうなずけるボクがいた。

 岡部さんのコトバに、もう少し、耳をかたむけておきたい。
「(福島第一原発事故の)避難者の子どもがいじめを受けたりするのは、親の意識を反映している。この構図は障害をめぐる構図とおなじです。共通するのは、ひとごとであるという無責任さ。まずは自分の五感で感じてみることが大切でしょう。たくさんの人が福島に来て、現実を見てくれたらいいなと思います」
 これは、そうしてきたボク自身が、そう思いつづけてきたこと、でもあった。

 この美術館は、障害者支援の専門家が開いた〝出逢いの場〟だけれど、それよりも。
 障害を背負った福島の復興に、内面からの生の表現と理解の〝きっかけづくりの場〟と、とらえた方がよさそうだ。

 いま開かれている展覧会も、障害のある人の自由奔放にきらめく作品ではないが、そうした〝気づき〟に近づかせるものを展示。
 そのために、気鋭アーティストたちの作品を、まず見て、つぎに触って、それで感じられる「ちがうかもしれない」世界を体験してください…という仕掛けになっている。

 展示作品のあれこれについては、ぼくには好ましさを言うくらいしかできないし、余計なことだから、やめておく。
 ぼくは、この美術館の基本の理念「アール・ブリュット」(フランス語で「生の芸術」の意とか)についても、まだ語る資格はないと思われる。
 
 ただ、ひとつだけ。
 はっきりと自覚できたのは、「触れることで世界がかわる」こと。
 触れることを禁じられた社会で、ぼくたちも障害者のように扱われている、発見もできた。
 それだけでヨカッタ。

 もうひとつ。
 ぼくはずっと、じぶんは障害のある人たちにやさしくない、差別化して生きて来たイヤなヤツ、と思ってきたのだけれど。
 そのじつは、じぶんもいま難聴という障害をかかえて、他者〔ひと〕からは理解されない同じ立場にあり、だから、たがいに傷を舐めあうようなことはしたくない、気分がつよいせいだとも知った。
 そうして、さらに言うなら、ぼくらのまわりにたむろする人たちもまた、なんでもないような顔をしながら、そのじつはさまざまな障害にあえぐ者たち、なのだった。

「障害とは、社会生活をするえうでの摩擦のようなもの」
 このコトバを、ボクはいま〝ひとり〟かみしめています。
 行って、観て、そうして感じてください……