どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/2日目②…被災地支援の宝物「ふくしま本の森」

-No.1358-
★2017年06月10日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2284日
★ オリンピック東京まで → 1140日







会津「坂下」という町

 流路にたくさんのダムを抱える只見川。
 ふだんの水面は穏やかなもので、6年余におよぶ只見線のレール不通が現実とは思えない。

 会津坂下の町あたりまで来ると、国道252号は磐越自動車道に近づき。
 只見川は水系の本流、阿賀野川に近づき。
 只見線会津盆地の城下町、会津若松に近づき。
 北の空には、飯豊連峰の雪嶺が近づいてくる。

 「坂下」と書いて「ばんげ」と読む会津坂下の町。
 地名の由来こそ知らないけれど、(盆地に来た)気分は濃い。

 ぼくらは、この町にある私設図書館を探し、訪ねたい。
 カーナビに、目的地をとりあえず町役場にしておいたのは、住所がわからなかったからだ……が、そのじつを申せば。

 ぼくはいつでも、旅立つ前にはできるだけの下調べを心がけ、ネットに情報のあるものは必要なページのコピーをとって携行する。
 ところが、ぼくは性格いたって疎漏、つまり、おっちょこちょいなところがあって、こころ急くとさらにいけない。
 こんどの場合もやっぱりそれで、肝心の連絡先ページをコピーし忘れて来たのであった。

 町役場に近いところまで来て、車を路傍に寄せて考えた。
 役場に所在を尋ねるより、図書館に電話をかけてみようか…と。

 これにもワケがあって、今朝の出発前、カーナビに電話番号検索をこころみたら、なんと所在地が会津若松市内……?
 なにか事情があってのことと思われ、しからばボクは走りながら考えるタイプのヒトなので、なにはともあれここまで走ってきた。

 たまたま車を停めた路傍が、ふんいきのいい時代ものの商家の前。
 「味噌」の看板にも格式が感じられたので、かみさんに買い物を頼んでおいて、ぼくのほうは目指す図書館に電話を入れてみた。
 これもまた、ぼくらの道行きにはよくあることだった。

 ……………

 電話は館長さんに通じ、ご本人はいま、やはり会津若松に居られ、
「平日は午後からの開館になるものですから」
 声が恐縮しておられる。
「そうでしたね」
 ぼくは、そこはソツなく応じたものの、内心には(ひょっとして…どなたか図書館に居てはくれまいか)淡い期待もあったものだから。

 図書館の所在を尋ね。
 館長さん、丁寧に教えてくださり、どうやら淡い期待も水の泡。やっぱり、だれもいないらしい。
 けれども、留守でも、定休でも、たとえ目的が達せられなくても、可能なかぎりその地には行って見る、それがボクの流儀であり、実際、足を踏み肌身に感じておくことは、決してムダではない。

 ぼくの取柄はメゲナイこと。

◆出逢いの船旅から帰った本たちが泊まる港

「ふくしま本の森
 というのが、目指す私設図書館。
 
 新聞にその紹介記事が載ったとき、ぼくはまず設立のきっかけに惚れた。
 あの《11.3.11》のあと、すぐに、被災地へは全国から救援物資が送られ、集まった量(なかには事情錯誤の着古した衣類など質の問題もあったけれども)もすごかった。ぼくはある町の復興対策本部、学校の体育館に積まれた物資の山に声を呑んだ覚えがある。
 正直にいえば、被災地でもつかいきれずに余ったものがあったほどで、その一部は、他所の貧困に喘ぐ国や地域への救援に役立てられた。

 そうした救援物資のなかに「心の糧」の本があったことは、ぼくも送った一人として知っている。が、その本、後方支援の岩手県遠野市に集まった総数30万冊とまでは知らなかった。そして、被災各地に配られたあとに約4万冊の本がのこって、その置き場に困っているとは、まさか、思ってもみなかった……

 その4万冊を「本は読まれてこそ生きる」と、ひきとって「本の森」図書館にした人がいることを知り、訪ねてみたくなった。

 「ふくしま本の森」がある塔寺というところは町の北西、只見線塔寺駅がある。
 訪ねる道々、車窓には田園のむこうに飯豊連峰が見え、隠れ。
 やがて、閑かな住宅街の一郭に、目指す看板を見つけた。

 「本の森」は、廃園になった幼稚園の建物にあった。
 (この私設図書館がオープンしたのは15年9月)
 午前10時からの開館は土・日・祝日にかぎり、ウィークデーは午後1時からだったが、入り口は閉まっていても〝閉めだす〟ふんいきはなく。
 本の返却ボックスのある玄関口から庭へとまわると、木の椅子とテーブルを置いた陽だまり読書によさそうな広いヴェランダがあって、ガラス窓の向こうに書棚が見えていた。

 この図書館のイイところは、本が「むずかしそう」だったり、「えらそう」だったりしないことらしく。
 「きがるに」「のんびり」、「おやつを食べながら」でも「寝っころがって」もイイらしい。
 
 たくさんの人と出逢って、たくさんの人に読まれてほしいので、「どんどん外に出て行ってほしい」から。
 本の貸し出しは、カードに氏名と住所を書くだけで、よし。登録なんか、不用。貸し出し期限も、冊数制限も、なし。また貸しも、いいよ。帰ってきた本には、「お帰りなさいの本棚」が待っている、という。

 ぼくらが子どもの頃の図書館には、なかったものが、ある図書館。
 この「本の森」代表の遠藤由美子さんという方は、「世界で一番山奥の出版社」と雑誌に紹介されたこともある「奥会津書房」を、ぼくらが今朝がた宿を出て来た三島町で営む、ということは後になって知った。
 そうして、電話で「本の森」へ案内してくださった館長の松本幹生さんはといえば、じつはこの図書館最初の来館者だった、とのこと。

 このたび、お二人にはざんねん逢うことかなわず、いつもの「本の森」の素顔にふれることもできなかったが。
 これは、何日かの行程を組んでする旅では、万〔ばん〕、やむをえない。お休みや、時間制限などの事情はさまざまだし、たとえば、日曜にしか時間のとれない人があるかと思えば、日曜だけが家族とすごせる時間というお忙しい人もある。

 いまの世の中、一度でなにもかも予定どおりに、など、できる相談ではなく、そのためには、そのためだけのスケジュールどりをするしかない、ことも多いのである。
 「本の森」へは、きっと、また訪れる日がくるだろう。

「本は船のように旅に出て、たくさんの人に逢って、読まれて、帰ってくる」
「ここは、そんな本たちが泊まる港」
 そんな心根の「本の森」は、ぼくの人生にとっても、もっとも親しいのだから。

 このたび、ぼくらは、かわりにすぐ近くの。
 会津三十三観音の三十一番、「立木観音」恵隆寺に参拝。
 会津坂下の町をあとにした。
 (立木観音の近くには、会津坂下町出身の歌手、春日八郎さんゆかりの『別れの一本杉』と歌碑もあるとのことだったが、立ち寄れなかった)

 ……………

 このたび、ぼくは寄贈する本を少しばかり車に積んで行ったのだが、置いては帰れずに、持ち帰り。
 後日、帰宅してからあらためて「本の森」へ宅配便を頼んだ。