どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/1日目④…桐箪笥と編み組み細工の三島町

-No.1355-
★2017年06月07日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2281日
★ オリンピック東京まで → 1143日
















◆藤と桐、紫の花街道を往く

 午後3時をまわって三島町に入る。
 この季節、辿る道すじは藤と桐との紫街道。

 ぼくは、花札を想う。季節の花12種を配した花札
 藤は4月で、旧暦なら自然〔じねん〕。絵札が「藤に不如帰〔ほととぎす〕」で、ほかに短冊札が1枚、カス札が2枚。
 いっぽう桐は12月で、ぜんぜん季節とは関係なし、家紋や褒章に採用される品格の高さをかわれたものだろう。絵札は桐に鳳凰、あと3枚はすべてカス札と潔く、うち1枚には製作者(社)の刻印が捺されることになっていた。

 藤は「藤娘」の舞姿、イメージどおりの花。かたや桐の方は、花札に見る鳳凰とのとりあわせ高潔・絢爛のイメ-ジからは遠すぎて。
 まぁ、こんな感想をもつことじたい、俗物の誹りをまぬがれないわけだけれど……
 
 まだ暑さに慣れない身体は早くもバテ気味。
 それには、福島県会津といえば山深く、雪寒い里のイメージもひと役かっているのは、まちがいない。

 町はずれに、このまち自慢の生活工芸館を訪ねる。
 三島町というところは、桐の箪笥と編み組細工で知られる会津里山

 館内には、素朴にして健〔したた〕かな、里山庶民、技仕事の成しとげた成果、かずかずの展示(即売もしている)が見られる。
 いまからつい半世紀ほど前までは、生活のなかの道具はみずから作る、のがふつうのこと。それを会津では「手わっさ」といった、手業(手技)のことである。

 三島町には縄文の集落遺跡がある。その頃、はるかな昔からはじまった手わざの伝統が、いまに継がれ繋がれている。
 ワラやガマ、アケビなどで編まれた草鞋、蓑、雪靴あたりを手はじめに、日々の暮らしや田畑・山仕事のさまざまな道具にくふうされた種々の籠たち。

 きっと、そんな雑器・雑具から始まった手づくりの品が、ヒロロやヤマブドウマタタビなどを素材にすることで、より繊細・緻密な網み組細工へと、発展・進化していったものだろう。
 ヒロロというのは、繊維の丈夫な草(スゲの仲間)を乾燥して紐にしたもので、女性の手になるこまかい編み細工に向き。ヤマブドウの蔓はその武骨な表情が男手の力づよさ、粗っぽいやさしさを魅せて寡黙なのだった。

 そうした山里の暮らしに身近な素材でつくる生活工芸品の、伝統のわざを継承する拠点として、この生活工芸館ができたのは1986(昭和61)年。ふだんは、後継をめざす人たちの技術習得や、さまざまなものづくり体験の教室が開かれているのだが、この日の館内は閑かで。
 雪ふかく降り積む山里の冬は「炉端でものづくりに没頭できるからいいのさ」という、ねばりづよい人々の暮らしぶりを偲ばせる。

 しかし…そこでふと、これらの品々に付いた値札の価格設定に、ぼくにはフクザツ想いがある。
 京都丹後の藤布織布などもそうだが、ものによっては数万から数十万と、とても「どなたにでも」とはいえないくらいに値がはる。
 それはそれで稀少の価値、生きのこったものに与えられる栄誉でいい…のだが、どこかしら、いつからか、出自の田野、その庶民性をはなれたいった末の一抹の哀しさにも逢着するのであった。

 2階に上がると、箪笥など桐工芸品がならんでいた。
 おなじ工芸品いっても、こちらはより特殊な〝職人技〟の世界ゆえの、遠慮があるようにも見うけられた。

 じつは、ぼく、この町を訪れるのは二度目。
 前のときは雑誌の取材で、生活工芸館ができて間もない87年秋。70年代に始まった奥会津里山の「生活工芸運動」に興味を惹かれてのことだった。

 下段の写真が、その折のもの。
 吹く風に清楚な花が揺れ揺れる、だい好きな蕎麦の畑を訪ね。険しい参道を息せき切って登った曹洞宗西隆寺、鬼子母神堂の建つ境内に散在する(女性石工師の手になるという)33体の柔和な表情の乙女観音像を拝み。
 
 桐箪笥の職人技に、おどろいた。
 ぼくの世代は、総桐の和箪笥にため息をつくことを知っており、姉が産まれたときに父親が「家の庭がもう少し広ければ…」と呟いたという話しなども耳にのこっている。成長のはやい桐の木は、産まれてすぐに植えておけば嫁入りに(持参する箪笥が)間にあう、と言われたものだった。

 このときの旅で、ぼくはマタタビの米とぎ笊と、雪山歩きの〝かんじき〟を買って帰っている。
 米とぎ笊には母が重宝したもだったが、やがて家族が減ると一度にとぐ米の量も減って、いつのまにか棚の隅へいき。
 〝かんじき〟は、わが家の雪庭で履き初めをしたっきり、ついに出番がなかった。

 でもぼくは、生活工芸をこよなく愛したし、いまもその愛にかわりはない。
 みずからも、その手わざに親しむことをしてきた。
 ただ、よりおおきく、どうしても旅に魅かれてしまう身には、その土地に居ついてこその生活工芸は、とうぜん深化しないものであった……

 生活工芸館をあとにするとき、ふと、玄関先の木造りのポスト、きっと大工さんが遊び心でつくったものだろう、扉を開けてみたらなんとそこに、一匹の仔ネズミと思しきかたちの置物があって。なんとはなしに……
 (あぁ、そうか、よしよし)というふんいきがヨカッタ。