どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/1日目②…電源開発の町を原発の風評被害が追討ち

-No.1352-
★2017年06月04日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2278日
★ オリンピック東京まで → 1146日




◆孤立感ふかめる只見町

 六十里越の先に、田子倉湖の湖面が谷間に枝を張り広げ、田子倉ダムが威容を現す。

 この田子倉を含む10基ものダムを抱え、〝ダム銀座〟と称されたこともある只見川。
 その源流が、ずいぶん南に位置する尾瀬ヶ原と知る人は少ないし、知っても地理感がつかみにくい。
 尾瀬ヶ原から新潟-福島の県境に沿って北へと流れた只見川は、この田子倉湖から流路を北東へ転じているのだった。

 新潟県側、上越線小出〔こいで〕駅からの只見線只見駅まで通じたが、途中、
六十里越トンネルの狭間の小駅「田子倉」は、利用客僅少を理由に廃止された。

 奥会津も最奥の只見町は、かつて「電源開発の町」と呼ばれた。
 その頃、60年代には1万2000人を超えたこともある町の人口は、いま5000人を割りこみ、高齢化率40%超。
 
 日本の戦後復興を支えたエネルギー開発、その最前線にあった只見川流域には、その後の水害禍から「ダムの乱開発」を指摘する声が、すでにあがっていた。
 そうして実際に、2011年7月の豪雨では流域10基のダムすべてが放水に追いこまれ、只見線も含めた被害を甚大なものにしてしまった。
 それでも国や電力会社は、例によって「想定外」(設計洪水量を超える豪雨だった)の一点張り。

 さらには、じつはこんなにも離れているのに……
 F1(福島第一原発)爆発事故の風評被害が追い討ちをかけ、福島県というだけで敬遠される。
 訪れる観光客の数はガクッと3割も減ったという。

 繰り返すが、奥会津も最奥の只見町。
 アクセスは国道1本(それも新潟県側へは冬期閉鎖になる)、鉄道1本きり。その鉄道が止ってしまったいま、これで国道になにかあったら孤立するしかないのが、現状だった。

 そんな、見るからに元気のない只見町に「たもかく本の森」を訪ねた。
 「たもかく」は、その母体、只見木材加工協同組合からきた名称である。
 都会と、森と湖の町とを結ぶ地域振興策を掲げてスタートした活動のなかの柱のひとつに、都会の人たちから送ってもらう「本と只見の森を交換」するというのがあって、基本は定価の10%で交換。

 活動の始まりは平成元年だったそうだが、新聞記事で知ったぼくも何度か本を送ってきて、合計すれば額もそれなりの高にはなっていたはずだが。それで森もちになろうというような気はなかった(本をいかしてもらえばそれでいい)から、申し込みもしなかった。

 「いちど訪ねてみよう」気でいながら、そのチャンスないままにすぎて、このたびの初訪問であった、が。
 事務棟はじめ、数棟建ち並ぶ「本の森」は、建物も傷み、たいせつな本の管理も十分ではない様子。

 代表の方に会ってお話を伺うと、発足当初のバブル期には好景気にわいたこともあったが、しだいに時代の流れにのり遅れ、都会には「ブック・オフ」という新古書店の大手も登場するなどあって停滞。
 一時は、本屋やパン屋、コーヒーショップが店を開いたものの、2011年、原発事故と豪雨の二重被害に遭ってそれらも頓挫したという。

 きのどくなこと…ではあった、けれども。
 どうも、こういう場合に気になるのは当事者の、身をヒイテしまった〝マイナス気分〟。
 これではなかなか、前向き上昇志向の発想も生まれてこないし、相手に足もとを見られてしまうことにもなる。

 ぼくは、せっかく届けられ集まった本たちの、これからのことが気がかりで。
 しかし。
 はっきりいって、さきゆきにまるきり明るみはなく。
 しかも。 

 ぼくにも、名案らしきものは、浮かばない。
 ざんねんなこと…ではあった、けれども……