どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

アジサイ「ダンスパーティー」のあざやかな復活のこと…など

-No.1349-
★2017年06月01日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2275日
★ オリンピック東京まで → 1149日


◆”温暖化”肌身にはりつく

 このたびの《11.3.11》被災地福島4泊5日の旅は、連日の晴天。
 これ、もとより旅の身にはありがたいことではあったけれど、それにしてもちと度をすごしており、ついに最終日には福島市ほかで”真夏日”を記録するしまつ。
 「身体がまだ暑さに慣れていない時季のこと…」と、ニュースでも連日「熱中症に注意」の呼びかけがつづいた。

 地球環境の温暖化が叫ばれてひさしく、懸命に、日常に影響される変化を感じとろうと努めていた者としては、しかし、どうにもその正体のつかみきれない気分が、正直、煩わしいばかりだったのだ、が。
 ようやくに、その尻尾だか髭の先っぽだかに触れられた感があった。

 この50年間に4度ほどの気温上昇が認められたといわれ、あるいは、東京の気温が九州屋久島のそれと同じレベルになる日も遠いことではない観測も囁かれる。
 それでいて、たとえばボク、70代前半の旅の身は、「暑い」という言葉を口にするのが憚られ、首筋の毛穴から滲みだす汗も遠慮気味ならざるをえないにもかかわらず、体力は確実に奪われつづける夏日・真夏日を恨む日々であった……

 予定された1日のエネルギーが、日暮れを前に早ばやと枯渇。
 宿に辿り着くと風呂はおろか、飯より、一杯のビールよりなにより、枕が恋しかった。
 

◆「母の日」の「カーネーション」のこと

 その報告記を明日から始めるにあたって、気づきの「まくら(噺)を振って」おきたい。

 旅に出かけるあれこれ準備中、「母の日」の二日ほど前に、ひと鉢の紫陽花が届いた。
 といって、だれのしわざでもない、ぼくがかみさんのために宅配を予約しておいた。
 家には子がないので、かみさんに「母の日」がないのは、しかしきのどくだと、ボクはかねがね思っていたから。
 それがたまたま、こういうカタチになってあらわれたにしぎない。

 きっかけになることは、あった。
 「母の日のカーネーションがピンチ」だとする、テレビ報道だった。
 花の生育が思ったよりも早すぎたために、肝腎の「母の日」に品不足まちがいなく、産地の花づくり農家が悲鳴をあげているという。
 これもどうやら温暖化の影響らしく、科学技術が進んだといっても(なかなか自然相手には、うまくいかんもんだナ)とボクは思いつつ、そのじつ胸には別な感想もあった。

 「母の日」の「カーネーション」にあらわれたいわれなき差別のことが、ボクの脳裡をいまもはなれない。
 小学校の頃、「母の日」を前に、子もたちが日ごろの感謝の気もちをカードに記し、カーネーションの花に添えて届ける学校行事があった。
 それはいい、のだが……
 ほかのほとんどの子たちのカーネーションは赤かピンクであるのに、母を亡くした子だけは白のカーネーションなのだった。
 それは、いわれもなく大いに目だつ結果になった。
 一輪の白いカーネーションを手にした子に母親がないことを、そのときはじめて知った子もいた。
 そういうときの子どもの反応に遠慮会釈はなく、ただただ驚きと奇異の目を瞠る、差別化だった。
 
 白いカーネーションには謂れがあることを、語ってくれた先生もあったが、充分なものではなく。
 とうぜん子どもたちのなかには、白いカーネーションのほうにより崇高なものを感じとる子もおり。
 ぼくもそのひとりであり、ぼくの友だちが白い花をもっての帰り道、ついに気のきいたひと言もかけられなかった記憶の影だけが濃い。
 
 白いカーネーションの謂れからすれば、むしろ赤やピンクのカーネーションのほうに差別があるわけで。
 つまり、差別というのはそういう性質のものであって、それがバレンタインデー(お返しのホワイトデーを含む)もおなじ、崇高な心根の商業化の習いというものでもあった……

◆がく紫陽花「ダンスパーティー」

 そんなことをつらつら想っているときに、ふとしたことからネットの「母の日」通販に、パッと色あざやかに目を惹かれる花を見つけ、思わず知らず購入を申し込んでいた…というしだい。

 そうして、送られてきたのが「ダンスパーティー」と名付けられた、浮き浮きと明るい紫陽花。
 ご覧のとおり(上の写真、左)ガクアジサイの園芸種のひとつ、アジサイの原種はこのガクアジサイほうだという。

 アジサイには、ガクアジサイに対してホンアジサイと呼ばれるものがあると、言われたりもするが。
 ふつうには「アジサイ」と「ガクアジサイ」で、わが家の庭にはそのどちらの株もあって、淡い青紫の花を開く。

 アジサイの花弁〔はなびら〕に見えるものは咢〔がく〕で、装飾花といわれるもの。アジサイは、ほとんどすべてが装飾花で、ガクアジサイは周囲を縁どるかたちの装飾花、したがってガクアジサイのガクはそのじつ「咢」ではなく「額」のほうの意味である。

 ぼくのアジサイについての知識などは平凡なもので、「酸性土には青紫の花、アルカリ性土には赤紫の花」程度。したがって、わが家の土は弱酸性ということになるのだろう、花色の好みはもっと濃い青紫だが、そのために土壌の酸性度をわざわざ強くするほどの気もちもない。

 園芸品種の開発競争に華やかさがあり、命名にも妍をきそう感のある代表はバラであろう…が、気がついてみるとアジサイもなかなか盛んで、命名も庶民的にリズミカルに凝っている。
 数年前、鎌倉の明月院で観た青紫のステキな大ぶりのアジサイ(写真、上右)には「雨に唄えば」と命名されていて、ウムと感心した覚えがある。

 うちは家族そろってアジサイが好きであり、といってもいまは二人だけだけれども、亡くなった父も母もこの花を愛で、嫁いでいった姉の好みでもあった。
 かみさんが生まれ育った北海道も道南にはアジサイが少なからず見られ、たとえば函館山の麓、戊辰戦争における旧幕府軍戦死将兵の霊を弔う碧血碑〔へっけつひ〕の周りには、時節になると真に「碧血」(正義に斃れた者が流した血は時を経て碧玉になると云う)を想起させる、みごとな青紫濃い大きな花房をたっぷりと重く垂れる。その色はときに、どこのアジサイよりも碧い。

 道南人のなかには、道北人がラベンダーやライラックを愛でるように、アジサイの紫を愛する者が少なくない。
 そんなアジサイ愛のかみさんとボクは、桜の花見のあとはアジサイ鑑賞に一献を奉げる。

 かみさんの古里では、初夏の湿原の花「水芭蕉」は、なんと「べこの舌」。いわれてみれば、ナルホドもの。
 「びっくりしたよネェ」と、冗談まじりによく述懐する、ので。
 ぼくは、アジサイに「またぶりぐさ」の俗称があるのを、かみさんにはいまだに言いだせずにいる。「またぶりぐさ」は別に「しもくさ」とも言って、「股ふき草」の意。まことに下の世話ねたで申し訳ない、けれどもアジサイの、厚みも申し分なく葉脈もしっかりした葉っぱは、ひたすら(つかいごこち良さそう)に思えてならない。

 とまれ…がくアジサイ「ダンスパーティー」。
 家に来てからわずか4日ほどで、ぼくらは旅の空へ。
 連日の好天が予想されたことから、鉢植えをどうするかに悩んだ末、やっぱり露地におろすのは花の後と思いきめ、水をたっぷり与え、あとは天水の恵みをたのみに、鉢を外に置いて旅に出たのだった。

 ぼくは車を転がしながら、このとき、去年の季節もおなじ頃、仮設住宅暮らしから自家新築をなし遂げた岩手の友へ、祝いに送ったのもアジサイの鉢植えであったことを想いだしていた。
 あのアジサイも、もう花の名は忘れてしまったけれど、ピンクの花が踊るような明るい気分にしてくれるのを愛でて、新居の庭の植栽に選んだことはまちがいなく……

 そうして、冒頭にも述べた好天の4泊5日をすごして戻ったわが家の「ダンスパーティー」。
 可哀そうに。すっかり花弁すべて首を垂れ萎れきってはいたけれども。
 気つけの水をたっぷり与えなおして一夜、養生のときをすごしたあとは、みごとに立ち直って復活の「ダンスパーティー」、いまも賑やかに踊りつづけている……