どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地巡礼、2017春・ぐるっと福島/1日目①…〝奥会津〟只見の遅い春?早すぎる初夏?

-No.1351-
★2017年06月03日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2277日
★ オリンピック東京まで → 1147日








 このたび17度目の被災地行は、福島県に限定の旅。
 これまでは、気分的にも多分に〝巡礼〟だった、けれど、こんどは少しばかり事情がちがって。
 どうもいまひとつ、ふさわしくうまい表現が見つからないのだが、〝歴訪〟に近い。あるいは、車を駆ってのことは「カーロケ」と言えるのかも知れなかった。

◆奥只見も被災地だ

 あの《11.3.11》があった同じ年の夏7月、戦後最大クラスという激しい豪雨禍に見舞われた奥会津、只見川流域。頼みの3つの鉄橋が崩落したJR只見線はいまだに復旧していない。

 浜通りのF1(福島第一原発)被災地を訪れるたびに、心の襞に棘のようなひっかかりを感じつづけてきた。
 2年ほど前には、春めいてきた風につい誘われて、現地に電話をかけてみたことがあったけれど…しかし、新潟県から奥会津へと越える峠道が、まだ冬期閉鎖されたままで通れないとの返事。
 ぼくは、そこが名うての豪雪地帯であることを失念していた。

 忘れる…といえば、ぼくは〝乗り鉄〟だった若き日、厳寒のこの只見線で列車が豪雪に阻まれ立ち往生、ただ一度の〝炊き出し〟を受けた覚えがあった。除雪の作業員たちに供された手洗いの湯が、ぬるま湯にもかかわらず熱湯のように熱かったことまで想い出す。
 しかし、歳月と忘却の寄せる波にはかなわなかった……

 その後、東北自動車道が開通してからは、奥会津方面への客足もこちらからの入り込みが多い(30分から1時間ほどの差)とのことだが、ぼくにとっての奥会津はやはり、越後路から峠を越えた先なのであった。

◆六十里越は「雪わり」スノーシェッド街道

 ぼくが住まいする町田から、いまは圏央道経由、関越道で行く。
 国境の長いトンネルを潜って小出インターから国道252号、魚沼市の田園ではほぼ田植えがすんでいた。
 まもなく車の通行量が見る間に減って、JR只見線との二人旅。

 国道も鉄道もともに、(これでもか)といわんばかりのトンネルとスノーシェッドを連ねていく。山がちな日本ではどこでもそうだが、その数が、てんで半端じゃないのだ。

 やがて越後-会津、国境の六十里越。
 鉄道は真直ぐに長いトンネルを穿ち、国道はスノーシェッドを連ね曲折をかさねて。
 地図には冬季閉鎖の連続「✖」印と、「連続雨量80mmで通行止」の注記がある。

 峠の長いスノーシェッドの、谷側に烈しく滝水の流れ落ちるのを見た。
 その「六十里越スノーシェッド」のさき、「雪わり街道展望台」に車を寄せると、奥只見の遅い春、萌え木(萌黄)の景を探勝する人たちに出逢う。

 道を少しもどると、スノーシェッドの屋根に覆い被さった雪の層から、流れ出た水が春の滝にとなって流下するのを認め。
 別の園地からは、田子倉ダム湖を囲繞する緑が眩しかった。
 しかし、ここは高いといっても高山の域にはなく、陽ざしにはすでに初夏の匂いがした。