読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〝若い命〟の二つの文章と、〝改憲〟に揺れる日本国憲法

-No.1320-
★2017年05月03日憲法記念日、水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2246日
★ オリンピック東京まで → 1178日



◆身構えないでヨム

 この春まだあさい3月に、二つの手記をじっくり読む機会があった。

 ひとつは、皇太子家のひとつぶだね愛子さま(内親王)が、中学卒業にあたって記念文集に寄せた作文。
 「世界の平和を願って」と題する1600字あまり。

 皇室の、なかでも次の天皇になる皇太子家の長女(で一人っ子)という立場には、いまとても複雑なものがあって。
 いやがうえにも世間の耳目を集めざるをえないこと、週刊誌をはじめメディアの憶測まじえた報道があるたびに、そのおよぼす影響をぼくなども心中ふかく案じていたものだった…が。

 作文を一読して、正直ほっと安堵の想いであった。
 よくできた立派な文章、そのひとこと。知性も感性も論理も、ともにゆたかに、皇族の立場もこころえての発言は「しっかりした」もので、これまで流布されてアレコレを杞憂の彼方にしてくれた。
 被爆地広島への修学旅行を機縁に、世界の平和を願う乙女心を綴った一文は、「育ちの佳さ」のにじむ、すぐれた教育環境に恵まれたことを示すものだった。
 これが3月下旬のこと。

 ……………

 そのわずか半月ほど前の上旬に、ぼくは、もうひとつの手記、懸命な心模様のメモ書きを読んでいた。

「今、僕は楽しく生きています。
 一日一日前むきにいれば何とかなります。
 だから、つらいことがあっても自殺を考えないでください。」

 こう書き出したのは、愛子さま(15歳)の2学年下、中学1年、男子生徒(13歳)の文。
 この子は”フクシマ”の原発事故で横浜市に避難、学校で酷いイジメに遭い、みずからも一度は自殺を考えた。

 この子のイジメ問題がきっかけになって、全国各地で相次いでいた”原発イジメ”の実態があからさまになった。
 おなじ苦しみに耐えている仲間たちにむかって、この子は、波立ち騒ぐ気もち、揺れる心情、理不尽に憤るこころ根を抑えて記す。

「もし自殺したら何があったかほかの人に伝える事も出来ない。
 それに今は学校に行きたくないなら、僕みたいにフリースクールみたいな場所もあるから、そこに行って勉強するのもいいです。
 環境になれなくてもゆっくり自分のペースでなれればいいです。
 だから自殺は考えたらダメ。」

 以上のメモ書きについて新聞は、公表に立ち合った弁護士の言葉として「おなじ境遇に喘ぐ子らに力強く生きるメッセージを発信したいと考えたもの」というのだ…が。
 そうだろうか。

 そうでなはい、ことは明らかだ。
 この子は、まだまだ耐えつづている、なんとか克服しようともがいている。
 さらなる過酷な目に遭ったら折れてしまいかねない……

 境遇が違いすぎて、愛子さまとは同列に論じられないけれど。
 哀しいのは、イジメる側の子もまた似たような境遇にあることだ。
 どちらも好環境にあるとはいえない、ざんねんながらマズシい、格差の狭間にあって。
 ふつうならたがいに助けあう立場の、同じレベルの庶民が同じ庶民をイジメ、排斥する。
 みずからもイジメられた腹いせに……

 たまったものではない。
 味方を敵とみなし、敵を味方に誤認する。
 識字率は高くても、識見率はお粗末に低い。
 日本のいまの現実。

 ……………

 そんななかで、”改憲”のことが声高に、自国の安全を脅かす”敵をつくる”かたちで言われ。
 オカシイほどみごとに、苦しめられる立場の庶民が進んで、民主主義を放棄するかたちの流れに、のりかかっている。

 前にも言ったことだけれど、ぼくは、いまの日本の憲法をふつうに読んで。
 身構えたり、先入主なしに、たいらかな気もちで読んで。 
 ごく自然に、なかなかよくできた「いい憲法」だと思う。
 どうしても表現が堅くなりやすい公用文のなかでは、わかりやすく書かれてもいる。

 ただ。
 いまの現実とのギャップがないわけではないから、いずれ、あらためる必要は、ぼくも認めるけれど。
 ただし。
 いまの改憲勢力とは方向性が真逆だから、おなじに見なされてはどうしようもないから、言わずにいるだけだ。

 戦争の放棄を謳った憲法9条が、先人の、与野党をこえた議論のうえに、どういう反省と希求の念から生まれたものかを、知っておきたい。
 さらには、戦後どうして”象徴”天皇制になったのか、その象徴天皇がその後の歩みを、どう辿ってこられたのか、を。
 もういちど、空を仰いで熟慮してみたい。

 戦争をしない覚悟のうえの自衛組織化を謳う改憲は、その後のことだ。
 少なくとも、いまの、誠実ではない、あぶなっかしい首相のもとでは、とてものことに認められない。