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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

訃報…大槌町の刺し子お爺ちゃん、小国兼太郎さん死す、行年93歳

-No.1314-
★2017年04月27日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2240日
★ オリンピック東京まで → 1184日




◆命日は…1月27日

 昨年暮れ。
 この年、第二次世界大戦の南方戦場から生還した叔父(母の弟)の魂を見送ったわが家は、年始の賀詞欠礼の葉書を送り。
 おえて、ふと気になった人がいて、市外局番のあたま02へ電話をかけた。
 その人は、7年目を迎えた《11.3.11》東日本大震災の被災地、岩手県大槌町の安渡の浜近く、いまも公営住宅の完成を待って仮設住宅に暮らしており。
 お浄土へ身罷った叔父とおなじ、齢90を超えていた。

 電話には、いつものことで妻女がでられた。耳が遠くなったその人は、電話にはでない。
 かわりに、折にふれ手紙を書いてくださったが、それも歳とともに間遠になってきていた。
 「入院しました、肺炎とかで、元気がありません」
 気丈な妻女の声にも、いつもの張りがなくて……

 身体を温めてもらおうと、病院のベッドでも食べられる懐中汁粉を送って。
 ぶじ退院したら、肉でも食べて体に精をつけてもらおうと、思っていた。
 寒い冬のあいだは、ぼく自身、耐えて生きる心境、人を元気づけられる気分でもなく。
 ようやく早春の風が吹いてからも、なんとはなしに、気おくれがしていた。

 毎年のこと、花見の頃、寒気が一気にゆるむと、これまた一気に夏日の気温になったりする。
 ようやく次のステップへ…の被災地。
 ことしは、5月の雪どけをまって、まず福島県へ巡礼の旅。
 その後、宮城・岩手へはまた夏になってからと、心がまえもできてきて。

 そんな日、ひさしぶりに、その人の家に電話をかけると。
 「亡くなりました」
 妻女の沈んだ声に、うちのめされた。

 こういうことが一、度ならずあった、ぼくだった。
 想いおよぶことを、避けたい気もちを、くりかえす。
 吾ながら、ただ、情けなかった。

 心根のやさしい元漁師は、ガーゼの布に刺繍糸の刺し子、手芸に熱中することで気もちの張りを支え。
 「できれば復興した故郷を、もういちどこの目で見ておきたい」
 そう述懐していたのだのだけれど……

 三陸岩手の浜に生き、こんどの大津波で生涯3度の”海嘯”を切り抜けてきた命が、ひとつ、逝った。

 宅急便の荷物は、肉から香華にかわって。
 ひとあしさきに、春まだあさい〈みちのく〉へ旅立って行った。