どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

江戸四宿のひとつ内藤新宿から、新宿御苑へ花見ウォーク

-No.1312-
★2017年04月25日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2238日
★ オリンピック東京まで → 1186日








◆春爛漫の4月10日

 新しい国立競技場の建築現場を見た(22日記事)後、ふと、むかしを想う気分に誘われて内藤新宿へと歩いた。
 外苑西通りを、首都高新宿線とJR中央線の線路下を潜っていけば、すぐ右手が新宿御苑内藤町。かつてはこちらに御苑の正門があったが、現在ふだんは閉鎖になっている。

 交番脇の案内板に「伝 沖田総司逝去の地」とあって、一気に”時代もの”の世界へ。
 内藤家屋敷(現在の御苑)に沿って流れていた旧玉川上水の余水吐〔よすいばき〕渋谷川)に近く、新選組隊士沖田総司の最期を看とった植木屋平五郎の家があった、とされる。総司は晩年、肺結核を患っていた。
 川筋の跡と思しき窪地に、名も知らぬ紫の野の花が、無心に群れ咲いているかに思われた。

 少し先、ひとつ内側の路地に、内藤家(信濃高遠藩)の家祖、藤原鎌足を祀った多武峯内藤神社がある。
 境内の「駿馬塚」というのに、伝えのこされている逸話が気宇壮大でいい。

 江戸入府後に徳川家康が家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を指し示して、こう言ったという。
「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」
 すると清成の乗った駿馬は、南は大久保、西は代々木、東は四谷まで走って倒れて死んだ。
 その駿馬の功をたたえてできたのが、この駿馬塚だという。

 似たような外国(ロシアだったか…)の話しを子どもの頃に、聞くか本で読んだかした覚えがあるけれど、こっちの話しの方がスカッと気もちがよくて、いい。

 新宿通りに出ると、右が四谷。
 左側の新宿1丁目から2丁目、いまの新宿3丁目にかけてが、かつての内藤新宿。現在の新宿駅前繁華街より東の方に寄っていた。

 日本橋を起点に整備された街道の最初の宿場、東海道品川宿中山道の板橋宿、奥州(日光)街道の千住宿と並ぶ江戸四宿のひとつで、その賑わいは品川宿に次いだ、が。
 途中一度は宿場廃止の憂き目にもあっている理由が、岡場所(色町)の繁盛しすぎ、つまり風紀の問題によるともいわれるのだから、その新宿魂いまも健在といっていい。
 
 甲州街道(現在の国道20号)を御苑トンネルに見送って、すぐに大木戸跡。
 内藤新宿、正確にはこの四谷大木戸から西へ、新宿追分(現在の新宿3丁目交差点)あたりまでおよそ1キロほど間で、最盛期の旅籠屋の数は50軒を超え、追分からは青梅街道が岐れていた。

 新宿御苑には、大木戸門から入る。
 1週間ほど前に御苑に遊んだ知人の話しだと、「入口から大勢の外国人をまじえた長蛇の列にウンザリ」とのことだったが。
 この日はさいわい、さほどのこともなく、しかし、苑内でのアルコール禁止ということで、持ち物チェックが花見客には艶消しのかぎり。

 苑内の桜は、ちょうど満開、花見ごろ。
 ことしの桜花は、開きはじめてから寒い日がつづいたぶん、花もちがよかった。

 それにしても、知人の証言にもあったとおりの外人観光客ラッシュ。
 この日もたいへんな数で、うっかりすると日本人の高齢者グループをしのぐほど。
 芝生に腰をおろして、ぼくはしばし考えてしまった。

 いま欧米では、難民・移民排除の嵐が吹き荒れ、いっぽうで日本は、もともとが難民・移民の受け入れに消極的だと指摘されつづけてきた。

 ぼく自身は、どうか。
 日本語以外の言語での会話ができないところが難だが、ボディーランゲージで凌ぐくらいのことはできるし、必要に迫られれば受け入れる気もある、が。
 もうしわけない、けれど、誰でもオーケーというわけには、ヤッパリいかない。

 現在の訪日外人客のありようを見て、正直な想いをいえば……
 概して、西洋人と、東洋人でも東南アジア系なら不安はすくないけれど、お隣りの韓国人、それよりも中国人のもつ民族性には、正直、辟易とするところがある。

 そうして、しかし、こうも思うのだ……
 日本人もかつては、欧米の国々で「エコノミックアニマル」と呼ばれ、皆一様にメガネをかけカメラを首からぶらさげて…というので、ずいぶん顰蹙をかったことがある。
 その日本人から見て、第二次世界大戦の相手民族は(戦中事情を考慮するとしても)「鬼畜米英」であったな、と……

 「他山の石」か。
 「人のふり見て我がふり直せ」か。

 (ことしはこれで花見もしまいじゃ…)
 ぼくは、桜の花そろそろと散りかかるなか、新宿門から御苑をあとにした。

 新宿駅南口まで歩いてバスタの先、府中方面へとゆるく下っていく甲州街道を目にすると、1964年オリンピック東京大会のマラソン、
アベベ・ビキラ選手(エチオピア)の独走ひとり旅が、髣髴とよみがえってきた。

 ……………

 ことしの桜、町田ではけっきょく16日の日曜日までだった。
 その1週間ほど前には、和歌山県紀伊半島南部の山から、「クマノザクラ」と呼ばれるヤマザクラの1種かと思われていたものが、じつは新種の桜かも知れないという、うれしい便りがあった。
 新種発見となれば、国内10種めの野生の桜、100年ぶりのことになるそうで、「花もきれいで鑑賞用にも期待できる」という。

 ぜひ「ちょっといいはなし」であってほしい。