どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

映画『スノーデン』を観て考える…国家による〝監視社会〟のオゾマシさ

-No.1281-
★2017年03月25日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2207日
★ オリンピック東京まで → 1217日



◆国家が仕掛ける”個人監視”社会

 3月4日(土)。
 オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』(2016、米=独=仏)を観た。

 映画は”愉しめる”こと。か、
 あるいは、”ドキュメンタリー性が気もちよい”。か、でなければならない。
 ぼくはそう思っている。

 いうまでもないが、ドキュメンタリーといえども人の感性フィルターをとおしたものは、少なからず物語り(フィクション)性をもつ。
 その意味では、純粋にノン・フィクションというものはない。
 ぼくは、そのつもりで映画・映像を観ている。

 ……………

 さて、映画『スノーデン』。
 おそらく世界中のだれもが、脳神経回路にともる明滅赤色灯の瞬きに眉をひそめた、あの告発者にまつわるお話しである。

 2013年、アメリカ国家安全保障局(NSA)及び中央情報局(CIA)元局員が、国家機関による個人情報収集の手口とその影響を告発した、その経緯を追っている。
 だから冒頭にも述べたとおり、これはフィクション性をもったドキュメンタリー作品といっていい。
 したがって、映画のアラスジをいうこともあるまい。

 映画は、「彼は、英雄か、犯罪者か―」を問う。
 たしかに言えることは、それによって彼スノーデンが、故国アメリカから逮捕命令を受け、亡命かいなかは別として、もう二度と故国に帰れることはないだろう、ということ。

 現代が情報戦争の時代であることは、みな知っている、が。
 さて、はたしてドコまで知っているのか。
 個人とはナニか、国家とはナニか。
 個人を国民として守る義務がある国家が、その国民を欺くことが許されるのか。

 ことわりもなしに個人の情報を収集するという行為は、あきらかに犯罪である。
 ちまたの犯罪者が手を染めている類いの犯罪である、が。
 同じことを、国家が仕掛けると、それは免責されるのか。
 不正義どころか、はっきりと犯罪であるものを、ダ。

 同じ犯罪、あるいは、どんなに酷〔むご〕い争いごとでも、国家がらみになると戦争という名を冠され、なぜか「やむをえない」ことのような色彩をおびてくる、のは許されることなのか。

 グイ、グイ、ひく力のある、映画のデキは佳かった。
 なによりオゾマシいのは……
 企業はもとより、個人レベルの通話やメールやSNSからも、すべてのデータが意図的に取り込まれている、ということだ。

 ぼくのパソコンは、初級からやっと中級にかかったくらいのところだろうが、それでも日々ちょっとしたヤバそうな事態のカケラにはいつも遭遇している。しかし、じゃ、ドウすればいい。
 国家レベルを相手に、それこそ素人が素手で、どれほどの抵抗が可能なものか。
 
 とりあえずは…SNS……ほかでもない、このブログやfacebookも含む周辺をどうするか。さらに、
 それよりもまず疑問をなげかけるべきは、特定秘密保護法とか共謀罪とかの国策に対して、ではないか。

 彼スノーデンが、日本にも情報収集の活動で滞在したことがあり、その経験から「気をつけたほうがいい」と語っている意味は、軽くない。
 そうして、もっとだいじなことを、すでにボクらは知ってもいる。

 ---”監視”でテロはなくならないし、防ぐこともできない---