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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

国立西洋美術館とル・コルビュジエ、そして世界文化遺産のこと

-No.1279-
★2017年03月23日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2205日
★ オリンピック東京まで → 1219日





◆天を仰ぎ、足もとを見つめる

 『スケーエン デンマークの芸術村』展を観に、ひさしぶりに上野の国立西洋美術館へ行った。
 (昨日の記事)

 ご承知のとおり、『ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-』構成資産のひとつとして世界文化遺産に登録された建物。
 氏の設計で、この美術館が誕生したのは昭和34(1959)年のこと。当時14歳で中学生だったぼくも、胸をときめかせて上野の森へ、いわゆる”文化の匂い”を嗅ぎにいった日を想いだす。

 いたずらに来館者を威圧するようなこともない、すっきりと西洋的な外観の建物は、青春前期の若者に文化のなんたるか、その多様性の一翼を指し示すものとして、百科事典のごとき魅惑と威厳にみちており。
 まだ未熟な者たちには、てっとりばやく文化的背景やお膳立てを用意してくれる場、つまり背伸びしてみせるのにおあつらえ向きのデートスポットだった。

 19世紀から20世紀前半まで印象派の絵画や、ロダンの彫刻群で知られる松方コレクションのかずかずは、いまも常設展示に観ることができ、それら作品群を鑑賞しながら展示室から展示室へ、いざなわれる通路のゆるやかなスロープや階段など、あらためて見ても、なるほどよくできている、さすがである。

 しかし……
 それでもなお、ぼくは”自然”にせよ”文化”にせよ、”世界遺産”という評価法には疑念を抱かずにはいられない。
 はっきりいって違和感がいっぱい。

 こしらえたものには、かならずこわれるときがくる。
 その本質のところを、どうとらえているのかが、わからない。

 そもそも”遺産(レガシー)”という考え方そのものが、”保存”しようという態度が、矛盾に充ちている。
 人とその文化がつづくかぎり…のことにすぎない。

 人が消えた世界には、人がつくった遺産も意味がない。
 人のいなくなった世界にまで、人の遺産をのこそうという魂胆そのものが、あつかましくもえげつない。
 人は自然〔じねん〕の生きものらしく、みずからが消えたあとは、この地球世界をきれいにさっぱりと返却すべきと思う。

 やるなら、人類が滅びないための方策しかない、のではないか……
  
 そう想ってみる前庭のロダンの彫刻、いずれも、おおきく天を仰ぐか、じっと足もとを凝視していた。