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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

『スケーエン デンマークの芸術家村』展覧会のこと/感動や眼福は大作・大展覧会にかぎらない

-No.1278-
★2017年03月22日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2204日
★ オリンピック東京まで → 1220日




◆「写実」と「写真」

 新聞の文化欄に一枚の写真版を見たとき、ぼくは(写真か…)と思った。
 それは、たしかに「撮像」にはちがいなかったが、絵画の紹介写真であった。
 それが絵画であることに、雪の原に吹きわたる春風のような新鮮なよろこびを、ぼくは感じた。

 『スケーエン デンマークの芸術家村』(国立西洋美術館、5月28日まで)
 展覧会のお知らせ。
 これは観のがせない。

 いうまでもなく、絵画と写真はちがう。
 絵画が目に見た印象の頭脳をとおした置き換えなら、写真は目に見た現実とはまた別の視覚への憧憬、といっていいだろう。
 「写実」ということがあるが、それは”見果てぬ夢”のようなもので、「写真」の態度ともことなる。

 そうすると、あらためて「フォトグラフ」を「写真」とおきかえた先人の智慧の深さにおどろかされることになる。

 絵画的な写真があり、写真的な絵画がある。
 そうして、ぼくは(記事に添えるものとしての)写真を撮ってきた者であり、絵画の世界の者ではない。
 そのぼくが、写真かと思われる絵画に魅かれるわけ、好きな理由は、おわかりいただけるだろう。

 展覧会では、まずミカエル・アンカーという画家のカンバスに惹きつけられた。
 代表作とされる『ボートを漕ぎ出す漁師たち』(1881年)、『海辺の散歩』(1896年)ほか。
 北の漁師たちの風貌をとおして、厳しいことの多いにちがいない彼らの魂の叫びが伝わってくる。それでいてふしぎな明るさがある。
 その明るさは、ほんらいその土地の風光がもつものであり、またそれを描く画家のヒューマンンな視点でもあった。

 スケ-エンというデンマークの地は、ユトランド半島の最北端。バルト海と北海とにはさまれて潮風が舞う、荒れた海と空。デンマークの人々にとっても19世紀までは”異郷”の地であったという。
 この最北・最果ての地が、首都コペンハーゲンで活動する若手画家たちをつよく魅きつけたのが1870年代のこと。それから詩人や作曲家など他の分野の関心も集めて国際的な芸術村として知られるようになったのは、19世紀末から20世紀初めのことだ、と。
 管見のぼくは、きょうまで知らなかった。

 もう一枚のすてきなカンバスは、ペーダー・セヴェリン・クロヤーという人の『ばら』(1893年)。
 構図のとり方が、みごとに写真的。それでいて厚みがあってあたたかい。そうして採光がこれまた、ふしぎに明るい。  

 スケーエン派と呼ぶ瑞々しい感性の画家たちの、じつに気もちのいい自然主義の作品たちと出逢って、ぼくの胸のうちはぬくぬくと充実した。
 (こんな展覧会が、もっとあるといい)と思ったことを添えておきたい。

 なお、「日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念」のこの展覧会は、展覧作品全59点という、規模としてはささやかなもの。
 それでもこれだけのインパクトがあり、しかも観おえたあとに気分のたかまりがあるのは、もういちど言おう、とても気もちがよかった。