どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

タイヤ〝パンク〟の後先/            高齢ドライバーのこれからを考える

-No.1277-
★2017年03月21日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2203日
★ オリンピック東京まで → 1221日

◆心臓リハビリの日

 (それは、ようやく春めく3月7日、火曜日のことだった)

 2週間に1度、この日は早くに家を出て、車中でコーヒーと軽食をすませ、朝一番のリハビリにのぞむ。
 いつものように屋外のパーキングに車を停め、キー・ロック、歩み出そうとしてなにげなく車体に目をやると…ハテ。
 左の後輪がひしゃげて見え、気のせいか…イヤちがう…まちがいなく、たしかにやや傾いている。

 疑う余地ないパンクであった。
 ガックリする自分に自分でおどろく。
 帰りにはタイヤを交換しなければならない、(カンベンしてくれ)。
 風の冷たい日であり、ぼくは腰痛気味でもあった。

 小1時間ほどのリハビリに気が入らず、脈ばかりがはやくなった。
 そういえば来る道々、ハンドルがやや左にとられる感じだった、が、まさかパンクなんて思いもよらない。
 どこでクギでもヒロったか、毛ほども気づかず、露アヤしみもしなかった。

 想いは(鈍ったか…)、そのことであった。
 前にもお話したように車転がして40年、少なくとも地球を3周はしてきたドライバーが、情けなかった。

 タイヤのパンクも、もちろん何度か経験しており、高速道路の路側帯でヒヤヒヤ作業の覚えもあるが。
 道路インフラの進捗とともに、いつのまにかパンクなんぞは昔のはなし、いまやヒロいたくても古クギひとつ道にない。
 (もうパンクもない…だろな)

 ことパンクにかぎらず、夏タイヤから冬タイヤに、あるいは前・後輪のローテーションに、タイヤの交換はずいぶんやってきた、けれど。
 気がつけば、ここしばらくジャッキアップも牽引も忘れかけていた。
 そろそろ人任せでも(よかろう)、正直(めんどう)になっていた……

 リハビリすんで。
 かみさんからの心配メールに、いまごろ気づく。
 曰く「出て行くときカラカラって妙な音がしてたけど、なんでもない? だいじょうぶ?」
 (気がつかなかった…不覚であった)ぼくの情けなさ、ここにきわまる。

 ラゲッジルームの荷物を下ろし、スペアタイヤとジャッキアップ用具一式を下ろし、腰に負担をかけないように気をつけながらタイヤを交換しおえるまでに小一時間、ホイールナットの締め付けに息が上がる。
 パンクしたタイヤには、たまたまの弾みでもあったろう、太い、長めの、建築用ネジがブスリと突き通っており、これではひとたまりもない。

 馴染みのタイヤショップに持ち込むと。
「パンクしてから、しばらく走ってしまわれたようですね」
 ひしゃげたタイヤ側面の損傷がはげしいために修理はきかない、といわれる。
「前輪のパンクなら気づくでしょうが、後輪だとまず、どなたも気づかないと思いますよ」
 とりなし顔に慰められたが、結局タイヤ1本を新品に交換。
 1日がほぼ、この件でつぶれた。

 それは、まぁ、やむをえないことだったけれど。
 高齢ドライバーのひきおこす事故がやかましく喧伝されるいまのご時勢、ぼくもまた諸々の想い抑えて憮然とせざるをえない一人であった。

 それでも、ボクなど都会に暮らす者は、まだいい。車がなくてもなんとかはなる、が。
 地方の限界集落などになれば、車がつかえなくなることは、ほとんど飯の食い上げと同義である。
 商店まではとても歩けないほど遠い、ガソリンスタンドはもっと遥かに遠いが、まだあるだけマシ。
 孤独死といつも隣りあわせ。

 それでいて……
 自己責任、追及の声のみ、きびしい。
 黙って手を挙げろ、ならず者めが、と。
 ことは深刻。

 ぼくは、みずから運転をやめる潮どきをアタマにおいて、いまはある、けれど。
 そうはいかない高齢者たちのために、ブレーキとアクセル踏み間違えても、重大事故にならない装置の導入をメーカーにはつよく要請しておきたい。
 これはボクにも覚えがあること、シマッタと思う途端に人はナゼか確認の追加行為にはしることがあるものダ。

 もうひとつ。
 ついでに国家レベルでの思慮分別について言わせてもらえば。
 いまどきはもう、高度成長期のごとき国土膨張策など時代錯誤いうまでもなく。
 ましてや女性に子を産めと囃して人口維持など、木を見て森を見ない譬えにひとしく。
 にもかかわらず。

 そも、むかし。
 人里離れたところに住みたいと望んだのは民でも、それを唯々諾々と許し追従してきたのは、いうまでもなく国家・地方ひっくるめての行政であった。
 しからば。
 いま、その方針撤回にあたっては、立場上も公が民に詫びて、いくばくかの責任分担を願うのがスジというものではないのか……

 そうして”厳界”(限界)集落を減らし、それらの土地の転用をはかっていく。
 
 ぼくは、自車タイヤのパンクから、それだけのことを考えた。
 それだけのこと、ではあるが。