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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「東京マラソン2017」は高速レースの予想どおり/しかし…日本マラソン界の現状は厳しい冬のさなか

-No.1270-
★2017年03月14日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2196日
★ オリンピック東京まで → 1228日

*先週の土曜日あたりから、また新聞・テレビで《11.3.11》話が多くなってきて…あれから6年の日が近づいた*











◆春が向こうから駆けてきそうな…

 2月26日、日曜日。
 「TOKYOマラソン2017」は、力づよい萌芽の予感に充ちていた。

 ことしから、ゴール地点が東京駅前から伸びる行幸通り、皇居・和田倉門交差点に変更されて。
 ほぼフラットなコースどり、風の影響も少ないとされることから、はやくから”記録を狙える大会”の評判が高かった。
 まさにそれを目指す顔ぶれ、世界トップクラスのアフリカ勢が集結。日本マラソン界にも、設楽悠太(東洋大、ホンダ)、服部勇馬(東洋大トヨタ自動車)、中村佑紀(青学大)と箱根駅伝組みのイキのいいのが揃って、先輩の元祖”山の神”今井正人(順大、トヨタ自動車)も復活を期す。

 というわけで、ボクは、ことしも街にでる。
 なぜ……
 そこに道があり、道に人がいる、つまり生きているからデ!

 去年は、品川駅の折り返し点前から浅草雷門前、さらには東銀座からゴールのビッグサイトへと、吾ながらこまめに動いて忙しすぎたから。
 ことしは、20km地点の門前仲町とゴール手前の丸の内仲通りにしぼる。
 まちがいなく、これまでよりとびぬけてたいへんな人出が予想され、観戦エリアに陣取り確保をしなければならない、と思いきわめた。

 門前仲町に着いたのが朝9時半。
 新宿都庁前のスタートが9時だから、いくら高速レースといっても、まだちと早い…といってもすでに、コース沿道にははやばやと席どりをすませた観衆の姿があちこちに見えていた。

 「門仲」に来たらいつものきまりで、深川不動、富岡八幡の順に詣でる。
 参道を行く人の足どりもいつになく浮いている。
 八幡様の境内には、日本一の大神輿の露払い格とでもいうか、手ごろ担ぎごろの神輿2台が用意されており、祭り半纏の世話役さんに声をかけると、「オー出るとも」と景気がよかった。

 コースに戻ると、しまった、もう最前列が埋まりかけており、やっとのことで給水ポイント近くになんとか陣どる。
 スマホ片手の事情通らしきファンが、「すごい世界記録なみの速さでつっこんで来てますよ」と仲間に告げている。

 先行の車椅子マラソンの選手たちが過ぎ、先導のパトカーが過ぎ…。
 まもなくトップ集団の姿が見えてくる、ペースメーカーも含めた8人ばかり、すべてアフリカ勢。
「ヤバいんじゃないの、日本がいないよ、まだハーフだろっ」
 だれかが叫ぶ。
 第二集団も黒人選手でしめられ、しばらくしてやっと設楽悠太くんが日本選手の先頭で来る。

 若い設楽くんの走りも、この時点では日本記録を破る勢いだったが、あのアフリカ勢のずば抜けた実力を見せつけられたあとでは、あまりにも見劣りがする。
 このレースには世界新ペース・国内最高ペース・日本新ペース、3つのパターンのペースメーカーが付けられた。
 だから、まぁ、順当といえば順当ながら、それにしても世界との差がズド~ンとでかすぎる。

 ……………

 ぼくはゴールの東京駅方面へ。
 丸の内へ、行幸通りへ……
 (20km地点で見せつけられた世界との差に)はんぶん帰りたくなる気もちをおさえて。

 世界新がでるかも知れない、うまくすれば、つられて日本新のメもあるかも知れない。

 東京駅丸の内口は、ふだんとはチガウ人並でごったがえしていた。
 およそマラソン観戦になんか縁のなさそな人たちの姿も目立った。
 そう〈おまつり〉であった。
 市民マラソンでもあるこの大会には、今回64人のランニングポリスが動員されたそうだが、丸の内口の交通整理にはDJポリスらしき姿も見られた。

 ふだんはどこか、とりすましたふんいきの丸ビル、大型スクリーンの設置された特設会場には、内外の関係者・無関係者とりどりに集って。
 高級ブティックのショーウィンドウが並ぶなど、どこかエキゾチックな香りもする丸の内仲通り。
 移動柵で厳重に警護された舗道のコース沿いは、すでに2重3重の人垣で溢れんばかり。なんとか3列目に入れてもらえたボクの後ろにもすぐに立つ人がいた。
 「立ちどまらないでください」
 整理員がムリを承知で懸命に訴えている。

 観衆の頭ばかりが右往左往するなか、トップで目の前を通過したのはケニアのキプサンゲ。
 優勝タイムは世界記録にはおよばないながら、日本国内最高の2時間3分58秒。〈門仲〉でぼくが見送った状況とかわりはなく、以下6位までがすべてケニア勢で8分台。
 その後にやっと、後半の追い上げなった井上大仁山梨学大、MHPS)くんが8位に入って8分台。彼も箱根駅伝組のひとりで、マラソンは2回目。
 その井上を36kmすぎまでリードしながら、敗れた設楽悠太くんが11位で9分台。

 以下は、服部勇馬くんが自己記録を2分更新しながらも9分台で13位。復活か注目された今井正人くんは11分台の14位に敗れ去った。
 記録の詳細は帰宅後に知ったのだけれど、しかし、衝撃的な現場を目撃した〈後のまつり〉には、ため息ばかり。

 活きのいい若手が発奮した、といっても正直「まだまだ」だし、かといって「やっぱりベテラン」といっても頼りにはならない。

 1週間後にあった世界選手権(ロンドン)代表選考レース最後の琵琶湖毎日マラソンでも、思うような結果はのこせなかった。というより、TOKYOに比べるとはっきり見劣りがして、選手諸君にはわるいけれども凡レース。
 代表は、順当なら福岡国際で日本勢トップ9分台の川内優輝(埼玉県庁)、別府大分毎日で優勝の中本健太郎安川電機)、東京マラソンで日本勢トップ8分台の井上大仁(MHPS)の3人だろう。
 けれど、ゴメンなさい、先行きは険しい。
 
 若手の台頭といってもブレークしたほどの者はないし、ベテランの存在感もひとすじの光明らしきものなく、ようするに「あいつがいれば」と期待を抱かせる”芯”がない、のがくやしいけれど現状。
 日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦さんもいうとおり、「2020東京(でのメダル)は難しいだろう。
 けれど、ケッパレ、ガマンのときがダイジなときだ。

 せめて。
 1964年の東京オリンピック、マラソンで銅メダルの円谷幸吉さんの話でもちきりになるのだけは、なんとか阻止してほしいものだと思う。