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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「家守」と「井守」

-No.1258-
★2017年03月02日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2184日
★ オリンピック東京まで → 1240日






◆ぼくん家にはヤモリ(家守)が棲んでいる

 夜行性で、昼間はとんでもなく狭っくるしい隙間や物陰に潜み隠れており。
 それがまた、向こうも(よもや暴かれまい)と思い、こっちも(まさか居るまい)とタカをくくるような場所。
 そんなところでヒョイと顔などあわせると、なぜか、たがいに一瞬ドギマギしてしまい。
 ぼくは、よろこぶ。そう、正直ウレシイ。

 そうして。
 (いた、いた)と思う間もあらばこそ、そそくさと忍者のごとく、そこらの穴とも見えぬ穴場に素早く隠れて消え。
 ほんにあっぱれ扁平な体は、ささいな壁の間隙とか人の目には判別しかねるほどの僅かな開口とかに、造作もなくみごとに潜り込む。

 運よく捕まえる(うっかりすると向こうから手のうちにとびこんでくることも)ことができた子どものころ、しかしそれがもとで可哀そうに命をおとしたヤモリが何匹かあって、ボクは素手でなく網で捕らえることを覚えた。じつは、この網もデカすぎたわけだけれど…。

 それほどにヤモリの体は柔で、こわれやすく、とても爬虫類とは思えない。
 習性はトカゲとおなじと教わった。危険に遭遇するとみずから尾を切り捨てて逃げるというのだ。が、ぼく自身は、置き去られたヤモリの尻尾がのこされた命のかぎり踠〔もが〕のを見たことがない。
 かわりに天敵の鳥の嘴に咥えられたのは見たことがあり、そのときは切り捨てる隙もなかったものか、尾をぶら下げたまま連れ去られていった……

 とにかく、このように幼気〔いたいけ〕な感情を抱かせる生きものであった。
 たまらなく好きになってしまったキッカケは、微かな湿り気と温もりを伝えてくる足指の先に触れたこと。

 ヤモリの足指には梅鉢型に、疣状の、吸盤ではないが、めいたものがあって、それでガラス窓なんかにも張りつくことができる。天井にもぶら下がれる。
 けれども、性いたって温和というか臆病。人に見つかったら即刻退散を身上とするから、ぼくなんぞまだカメラのレンズにとらえたことがない。
 大きさは広げた手いっぱいくらい、体色は地味な埃色っぽい保護色で、ぼくん家の場所によっては緑がかって見えることもある。

 むかしの人にはふだんの生活場面から親しみがあり、そのつながりから「家守」を縁起物とする風もあって、ぼくなんかも「家守を捕まえてはいけない」といわれて育ったくちだけれど、いまはもっぱら彼らも生きられる好環境がありがたい。

 ぼくん家は、もとは山だったところを削り均して造成した近郊住宅地にある。
 ヤモリというトカゲの仲間は、もともとが主に民家とその周辺に棲息。つまり人家の多いところを好み、郊外の原っぱなんぞには棲めないらしいから、ここが住宅地になってから、ぼくらよりも少し遅れて移ってきたのかも知れない。

 ヤモリは「宮守」とも書いたように、実際お宮とかお寺にも多かった。
 たとえばクモとかワラジムシのような、人にとっては迷惑千万な存在の虫なんかを食べて生きる、つまり有益な存在にもかかわらず、いまどきは「気もちわるい」とかいわれ、不快な生きもの扱いされているとか。
 「およしよ、見てごらん、かわいい顔してるじゃないか」とボクは想う。

 ぼくがヤモリを好きな理由は、もうひとつ、”冬眠”をすることにある。
 寒さが苦手なぼくは、冬眠という命を守る究極の行為を愛してやまない、冬眠する生物すべてに投げキッス!

 ……………

 このヤモリと似た雰囲気をもつ生きものに、イモリ(井守)がいる。
 名前もカタチも大きさもたしかに近いが、両者はおおきに違う。
 ヤモリは爬虫類、イモリは両生類。
 
 生き方で違うのは、ヤモリは一生を水に入らずにすごすし、イモリのように変態もしない。
 さらに大きいのは再生能力のちがいで、ヤモリの再生は尻尾の皮・肉までにかぎられるが、イモリの場合は骨まで完璧に再生、ほかの部位でも驚くほどに高い、ほとんど蘇生に近いほどの再生能力をもつ。
 もっと違うのは体色で、イモリは「アカハラ」とも呼ばれるように腹部が毒々しいほどに赤い。もちろん警戒・警告色、もちろん猛毒もちで、それはフグ毒で有名なテトロドトキシン。襲われたりすると、横ざまに倒れ、体を反らせて、警戒・警告の赤腹を見せつける。

 まぁそれだって、某国の大統領みたいに、はじめっから警告色もあらわに恫喝するのにくらべたら、はるかに同情の余地はあるわけだが。
 どうもボクは、イモリの方にはなじみが薄いせいもあって、もうしわけないけれども好きになれない。
 もちろん、ぼくん家に棲んでもいない。

 ボクが青春時代をすごした頃までは、「イモリの黒焼き」なる怪しげな”惚れ薬”と称するものが堂々と売られていた。
 ところが、これもじつは、ネタ元の中国では「ヤモリの黒焼き」であったという。
 それを勝手に日本人が、たぶん「(アカハラ)イモリの方が利きそうだ」というのでとり違えてしまったと見える。
 どうも人間というヤツは、わからない……と、ヤモリ(家守)やイモリ(井守)なら言うことだろう。