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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「あんた、それじゃ定九郎だよ」と…おっ母さんが呆れたぼくの剛い頭髪

文化・社会・観賞・読書・思想 思うこと・考えること

-No.1257-
★2017年03月01日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2183日
★ オリンピック東京まで → 1241日




◆目に刺さるハリガネ

「あんた、それじゃ定九郎だよ」
 おっ母さんの呆れかえった声に、もちろん非難の響きがあった。
「なんだぃ、その、定九郎って」
 わけがわからず、ぼく、ムクレる。

「(仮名手本)忠臣蔵の五段目でね」
 おっ母さんの説明だと、山賊そのままの敵役〔かたきやく〕
 雨の、闇夜の西国、山崎街道で強盗をはたらき、相手を殺めて奪った金が50両。このとき殺されたのが、あの「おかる・勘平」の「おかる」の父親、与市兵衛で…。
 その後すぐに、勘平の鉄砲玉にあたってあえない最後、という段取りになる、まぁ芝居の本筋にはほとんど関係のない、ただのワル。

 にもかかわらず人気の役どころだった、というところまで、はたしてこのときのおっ母さんに、そんな意識があったとは思えない。
 (やだよ、よしとくれ)の底意が見え見え。

 とにかく、素浪人くずれの盗賊という役どころの、斧定九郎。頭の、ぼうぼうに伸び放題の月代〔さかやき〕がほんに怖ろしげな。歌舞伎で用いられる百日鬘〔かずら〕というやつがヒールなイメージをきわだてる。
 座して裁縫のおっ母さん、見上げるボクの頭が(ソレだよ…まるで)と言っている。

 ぼくが、じぶんの頭髪が半端じゃなしに剛〔こわ〕く、ボリュームもたっぷりなのを、はじめて悟らされたのは近所の床屋で。
 店主の親爺さんはもっぱら大人のお客さんが相手で、ぼくらガキの頭を刈るのは奥さんの役目だった。その奥さん、同級生の子の親でおっ母さんとは保護者会(ぼくらの頃は父兄会と呼んだ)仲間でもあったから、遠慮もなしに。「すごいわねぇ、おとなも顔負けだゎ」はまだ序ノ口で、決定的なのは、短いところを散髪すると毛が「目に刺さりそう」という台詞。子ども心を引き裂きおって…。
 
 しかし、この事実には自身もナットク、床屋のおばさんメガネをしていてよかったと思ったくらいで。
 中学で私立の仏教校に進学することになったときには、その学校の規則で坊主刈り。坊ちゃん刈りの頭にバリカンをあてられると無念の涙が零れたが。
 そんな人の気も知らないおばさん澄ました顔で、「いいじゃない、さっぱりした頭で勉強に実が入るわ」ときたもんだ。

 高校に進んで髪を伸ばしてもいいことになると、よろこび勇んで蓬髪に戻った。
 伸び盛りは頭髪にもおよんで、リキッドで撫でつけたくらいじゃとても埒が明かない。ポマードなんぞご法度だったから、とどのつまりは学帽でキツく押えつけておくしかなくて、剛髪はその下から外へ溢れ出た。

「いやだ、あんた定九郎じゃないか」
 おっ母さんを呆気にとらせ、ぼくには嫌味なかぎりだった言葉は、ちょうどその頃、そろそろいっちょ前に色気づいてきてもいたボクに、どんな影響をおよぼしたか。
 …というと、格別どうということもなく、つまり極めて生理的かつ個人的なことで。柔らかい長髪を指で優雅に掻きあげる男友だちを羨んだって、どうなることでもなかったのだが。

 歌舞伎界における定九郎さん事情には変化があって。
 従来のむさくるしい山賊型から、黒羽二重の着流しに白塗りの肌というワルの二枚目型、ドキッとするほど色っぽい拵えの役柄にして大向こうをうならせたのが、初代中村仲蔵という人。それからは、この仲蔵のくふうした拵えが定九郎の定番になったとか。
 その頃のぼくは、歌舞伎を知らないし観る金もなかったのだ、けれども……
 そこはよくしたもので寄席が好きだったおかげで、古典落語の『中村仲蔵』という噺から、彼の役づくりの顛末を知るにいたった。
 初代中村仲蔵といば江戸中期の役者である。

 すると、これはぜんたい、どういうことか。
 おっ母さんの頭に、そんな色悪な定九郎像があったとは思えないし、ぼくを見る目もけしてウットリなんかしてなかった。
 …ということは、おっ母さんのイメージに棲みついた定九郎像というのは、絵入り草紙本の影響か。
 あるいは、ほんものの歌舞伎ではない、田舎芝居の舞台でも観たものだろうか……

 ともあれ。
 かつては人騒がせだったボクの剛い頭髪。
 旅人になると自然、手間のかからないスポーツ刈りになって落ち着くことになり。
 いまでは、あのハリガネ髪はどこへやら、短髪でも少し伸びると寝癖がつくようになってしまった。