読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「核燃料デブリ」という不逞なるものの厭らしさ/ フクシマを悩ます高濃度汚染の核のゴミ

《11.3.11》・原発・エネルギー・災害・防災

-No.1239-
★2017年02月11日(土曜日、建国記念の日
★《3.11》フクシマから → 2165日
★ オリンピック東京まで → 1259日



◆「デブリ」という言葉は

 登山用語として、少なくとも日本では、おもに山屋(登山者)やハイカー周辺に知られた、どちらかといえば特殊な用語だった。
 
 英和辞典に「debris」と見出しがあるが、もとは「フランス語」とある。
 日本に、近代登山というか、洋風登山の風を紹介したのはウォルター・ウェストン(1861~1940)、イギリスの宣教師でもあった人だが。彼の人が登山に励んだのはアルプス。
 アルプスから生まれた(といってもよかろう)登山用語の多くはドイツ語だったと思うだけれど……

 とまれ。
 「デブリ」は「破片」の意。
 登山用語では、雪崩落ちて積もった「雪の塊」や「氷の塊」のこと。また、それらによって運ばれた「岩屑」や「岩屑の小山」をも意味するようになり、さらに後には「残骸」の意味にまで敷衍されることになったらしい。

 ぼくは、早くに山靴に黴をはやしたような男だから、エラそうなことを言う資格はないが。
 「デブリ」は注意を要するところであっても、嫌悪されたり忌避されたりするものではなかった。
 いやむしろ、大自然の営みに対する畏敬の念の対象であった。

 それが、時うつっていま。
 衛星やロケットの破片・残骸を指す「スペース・デブリ宇宙ごみ」の世となり。
 ついには、原子炉炉心内の核燃料が過熱・融解・破損、炉心溶融して生成するもの「炉心溶融物=核燃料デブリ=核の堆積物、ごみ」騒ぎに晒される始末となった。

 「デブリ」もぜんぜんピュアなものではなくなっちまって。
 「汚れっちまった哀しみに……」
 ぼくは(中原)中也の詩句を想いうかべる。

 「核燃料デブリ」という概念が生まれたのは、たしか1979年アメリカのスリーマイル島原発事故のあったときで。ただし、このときのデブリは上図の4の位置にとどまり、原子炉圧力容器の底を突き破ることはなくてすんだのだが……

 こんど1月30日、福島第一原発2号機内のカメラ調査映像に移っていたのは、圧力容器下に溶け落ちたと見られる核燃料デブリ(と思われる)だった。
 しかも、サソリ型ロボットを差し入れ調べたところ、これまでの最高濃度650ミリシーベルトという手のつけられない汚染度を突きつけられ、ついでにロボットまで使いものにならなくされてしまった……

 山岳世界の「デブリ」も、ずいぶんイメージを損なわれたもので、「イメージ被害」損害賠償を請求したいくらいのものである。

 「デブリ」は「残骸」から「瓦礫」の意味をも、もたされるにいたっているいま。
 《11.3.11》被災東北3県のうち、岩手・宮城の2県と、福島県に負わされた負担の違い。
 これまでは、岩手・宮城が「震災・津波」の被害だったのに、対して福島には「+原発重大事故」の被害が加わった…といってきた、けれど。
 
 さらに、あらためて、つけ加えておかなければならない。
 瓦礫にしても福島にだけ、「核燃料デブリ」という破天荒に厭らしいものが負わされている。