どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「ロマンスカー」と「グリーン車」についての断片的な考察

-No.1228-
★2017年01月31日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2154日
★ オリンピック東京まで → 1270日




ロマンスカー

 かみさんと町田から新宿へ。
 小田急線の特急ロマンスカーに乗る。全席指定の予約制。

 町田駅がその停車駅で、わざわざ乗り換えの面倒もないから利用しやすいこともあり。
 毎日のことではない、所用があって「おでかけ」だからでもある。
 急ぎでもない、が、特急だから早い。新宿まで30分。

 運行される本数もかなり多く、帰路の通勤用には「ホームウェイ」号も運転される。
 とうぜん、利用する人も少なくないわけだが。
 ウィークデーなら特別な日でないかぎり、当日、ホームの自動販売機で気軽に席を確保できる。

 月に一度、カルチャーセンター「木工教室」講師の仕事があり、往きには手荷物が大きくなることもあって、ロマンスカーを利用するようになり、そのうち定番になった。
 はじめは往きだけだったのが、帰りにも乗るクセがついたのは、「本日じぶんへのご褒美」にビールを一杯たのしめるから。
 正月2日、箱根駅伝往路の観戦に芦ノ湖畔へ出向くことが恒例になって、これももちろんロマンスカー
 ほかのときでも、気がつくとロマンスカーの人…ということが多く、とくにTOKYOで呑んだ帰りはほとんどロマンスカー

 こうして日常的になっていたことが、吾ながらふとオカシかった。
 多摩川の鉄橋を渡っているときに、連想が川を下った。
 河口に近い六郷のあたりをJRの線路が渡っている。

グリーン車

 JRがまだ国鉄の頃。
 ぼくが、川崎の家から川向こうへと渡って東京の私学へ、中学・高校と通った時代。
 普通車にも1等・2等の区別があった。たしか1等の運賃は2等の2倍、高かった。
 「区別」はつまり「差別」だなと、子どもごころに感じさせられた、おもな理由は横須賀線にあった。

 その頃、ふだん通学に利用するのは京浜東北線だったが、川崎駅には東海道線横須賀線の電車も停車した。
 東海道線の電車はオレンジとグリーンのツートンカラーで「湘南」の海とリゾートを想わせ、横須賀線はブルーとクリームのツートンカラーでシックな高級感をアピールしていた。軍港横須賀にいたる途中には鎌倉、逗子の高級住宅地区もあった。

 1等車の乗客はアメリカの軍人さんか、日本人なら高級官僚かエリート実業家、つまりお金持ちクラスとそのとりまき。
 ときたま横須賀線に乗り、思いきって1等車の通路を通ってみると、葉巻や香水の匂いに圧倒されたものだった。
 
 1等座席車が「グリーン車」になったのが、たしか1969(昭和44)のことだった。
 四つ葉のクローバーのマークの、もじどおりグリーンカー。
 ゆったり(占有面積ひろく)と、上等のリクライニングシート。
 そこに「高級感」より「差別感」を嗅ぎとっていたぼくには、正直「忌避感」さえあって。
 でも、好奇心に駆られて……
 横須賀線グリーン車、指定席に腰をおろしたことがある、けれどもイケナイ、どうにも落ち着けなかった覚えがある。

◆どうしたことか

 そのボクが……
 ロマンスカー、いってみればグリーン車に、いまはいつもように乗っているのは、どうしたことか。
 町田-新宿間は31キロ、運賃370円+特急料金410円。安くはない、が、贅沢にも思わない。

 その日、家に帰って調べてみた。
 小田急線の町田-新宿とおなじくらいの距離というと、JRでは横浜-東京(28.8キロ)か。
 この間、現在の運賃500円+グリーン料金770円(普通列車50キロまで)。
 
 いずれにしても、普通車の2倍以上。
 それらが、ごくふつうの人にふつうのこと、になっている。
 さらに、ちょっと遠方まで出かけるとなれば、特急・急行などを利用するほかなく、すべて別途料金が必要になる。

 世の中がそういう仕組みにって、だれもが、それをふつうに思うようになったわけだ。
 じぶんたちのひと昔まえを振り返って、発展途上国のいまを思いやれる人は少ないわけだ。