どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

映画『君の名は。』が大ヒットしたわけがワカッタ/いまある〝現実〟が日に日に〈現実感〉を喪っている

-No.1225-
★2017年01月28日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2151日
★ オリンピック東京まで → 1273日



◆1月17日、いまになって『君の名は。』を観た

 去年の夏に公開されるとすぐに火がついて大ヒット、たいへんな興行収入を記録したアニメ映画である。
 新海誠という、若い才能ある監督のことを知り、作品を観たいと思ったが、そのチャンスがなかった。
 あまりにヒットの炎がスゴすぎ、「聖地巡礼」などという現象までが熱をおびるにいたると、映画館に足をはこぶ気を萎えさせるものがあった。

 ちょとキョリをおくためもあって、本『小説 君の名は。』(角川文庫)のほうをさきに読んだ。
 映像に深く親しみ、製作現場もふんでいるぼくが、映画よりさきに原作を読むことは珍しい。
 〈下敷き〉である文章作品と映像作品は、まったく別ものだし、だから接するならとうぜん順序が逆だ。

 『君の名は。』というタイトルづけが上手い。
 「かわたれ(彼は誰)どき」を遺伝子操作して「かたわれ(片割れ)どき」にしてみせた感性もするどい。
 読んで、映画(大ヒット)のデキにも、けんとうのつく気がした…けれど、観ておくにしかずと思った。

 公開から半年ちかくものときを経て、興行をおえる前に映画館へ。
 劇場は、有楽町の「TOHOシネマズ日劇」。午前中、昼前。
 さすがの大ヒット映画も、入りは少なく、若い人は少なく、あきらかに〈後追い〉とおぼしき熟年層がめだつ。

 物語の筋書きには、けっこうこみいったものがあり、ニガテなのはボクだけかと思ったら。
 若い人たちのあいだでも「いまひとつのみこみにくい」のはおなじだったらしい、それで2度3度と観る者も多かったのは、それも監督やプロデューサーの作戦だったのか、どうか……
 ゆえに、スジを追う愚はしない。

 アニメの絵づくりがすばらしい。たとえば現実にある街が、あるがままに、しかもより〈現実的〉に表現されている。
 ぼくが通った大学のある、四ツ谷駅とその界隈などなど…こまごまとしたディテールまで、現実よりも肌あいがいいくらい。
 電車の、車内やドア開閉など、リアリティーもすごい。

 ぼくには、スクリーン上の映画の進行とは、べつの想いがあった。
 (この映像の現実感にくらべて、現実の世の現実感のなさはどうだ)と。
 『君の名は。』という映画は……
 現実感も信頼感もきわめてとぼしい現実社会につよい閉塞感をいだきながら、まさにそのいまを生きる若者たちへのメッセージ。
 「あしたはあるさ、きっとな」
 したがって、この映画はぜったいに、ハッピーエンドでなけらればならなかった。

 それにしても、なぜ、これほどまでにアニメなのだろう……
 ぼくも、生身の俳優が演じる芝居がやりきれないことはあり。
 アニメとか、人形劇とかの世界に救いを見いだしたいことはある、が。

 けれども、だからこそ、そんな仇な人の生きざまを、現実にある人をとおして表現しなければなるまい、気がしている。
 アニメにしか表現できない世界を生きるのがアニメだ、と思っている。