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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

老女の白髪をいう「九十九髪」という表現…/   ぼくにはナットクのいかないところがある

気象・環境・自然・動植物 生きる・医療・健康

-No.1222-
★2017年01月25日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2148日
★ オリンピック東京まで → 1276日



◆きのう「つくも神」の話しをしたら…

 連想で「つくも髪」が、まるで水底からぽっかり浮いてきた。

 「つくも髪」は「九十九髪」で「老女の白髪」のこと。
 「つくも」は「次ぐ百」で、「九十九」は百から一画少ない、の意をこめて「白」に譬えた。
 そこまではいい、のだけれども。

 辞書の説明には、ときに混乱をまねきかねないものがあるわけで。
 この場合は「つくも(江浦草)はフトイの異称」、というあたりから、どうもスッキリしなくなる。
 白髪が「江浦草(つくも)、つまりフトイに似る」と辞書はいうのだが。これがわからない。
 
 「ふとい(太藺)」は藺草の一種で、池沼に群生し、枯れる前の茎はもちろん緑。
 枯れた茎で花筵を編むという、その中空の茎(稈)は藺草よりも太いというばかりで、肝心の「白髪」に連なるよりどころがない。
 枯れたフトイの原、白茶けた茎のぼうぼうと乱雑にむらがり立つさまが白髪のようだ…とでもいうのだろうか。

 待ってくれ、それじゃ老女の白髪ではなくて、鬼婆ぁのざんばら髪ではないか。
 白髪とはいえ老女のそれなら、少なくとも梳きながれるようでなければなるまい。フトイの枯れた原っぱは、そんなイメージにほど遠い。

 辞書では埒があかないから、植物事典もひもといてみたが、わずかに茎の色を「粉緑色」とする程度で、やっぱり梳くようにはならない。
 ぼくにも、水草の葉群れの流れるがごとき状景の見覚えはあるが、どう想像をたくましくしてみても「緑の黒髪」まで。
 とても白髪とは程遠いので、これはいちど、どこぞで本物を見てたしかめておかないと、いつか夢にうなされそうな気さえする。

 ともあれ……
 かみさんの頭がだいぶ白くなってきた。
 といっても、じつは黒髪に白いものが混じる程度で。

 ぼくの短い頭の髪は、もっと以前から白くなっており、床屋にいくたびに気になって進行具合を尋ねるのだが。
 「まだまだ半分もいってませんよ」と、これは、どうやらまんざらお世辞でもないらしく、本人が気にするほどではないらしい。

 プロにはプロの鑑識眼があるもので、白髪は色素をうしなったもので、黒髪より細く、また縒りがかかってくる、それだけの違いだという。
 でも、足がヨレてくれば髪もヨレてくる……わけだ。

 おなじ白くなるなら、いっそ真っ白がいい。
 ぼくはもちろん、艶やかな総白髪に憧れるが。
 いきつけの床屋は「あなたの頭だと、ざんねんながらゴマ塩どまり」だと、自信たっぷりに託宣する。
 「真っ白になるのは頭皮の硬い人です」と。

 そりゃ頭が硬いより、(思考は)柔軟な方がいいのだけれども……