どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

十勝・上士幌町「ちょこっと暮らし体験」リポート-滞在7日目-/十勝の民情たずねて上士幌から足寄、陸別の町へ

-No.1191-
★2016年12月25日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2117日
★ オリンピック東京まで → 1307日







◆11月9日(水)、十勝平原

 6時起床。
 朝焼け…昨夜は沁みとおるような星空であった…。
 雪の予報は幸いにもはずれたけれど、明日は荒れ気味の観測に変わりはない。
 すませておきたい用事があれば今日のうち、というわけだ。

 地元紙が「積雪早くも記録的」と伝えている。
 数値で示されると明瞭で、この時期の積雪平年値はどこもほとんど0、多くても7cm程度なのが、今年はのきなみ15cm以上、多いところでは47cmに達している。
 まさかの早い冬将軍襲来に、除雪車の出動がまにあわないありさまだ、という。

 十勝平原も、ご覧のとおり。
 「寒いが雪は少ない」はずの大地が、はやくも一面、真っ白ずくめ……

 明日は「沈(停滞)」の一日になるやも知れない。








◆ゴーシュ羊牧場

 コンシェルジュの紹介をえて、先輩移住者で牧羊家のKさんを訪問。
 牧場の名前が「ゴーシュ」、やはり賢治世界の方で、みずからもセロを弾くのが楽しみという。

 こんなに広い十勝平原でも、農牧場の「空地」というのはなかなかないらしい。
 町役場の仲介もあって、なんとか東京ドーム2個分ほどの牧場を入手、サホーク種の肉用羊を主に飼育。
 一頭からとれる肉は約30kgと、牛とはくらべものにならないけれど、半年で出荷できる回転のよさで切り盛りする。

 サラリーマンからの転職組が多いというのが、いまどきの田舎暮らし「ふるさと回帰」派のようだった。
 いつの世にもある移住志向の一定層が、ちかごろは徐々に増加の傾向にあるらしい。








◆木工「夢工房

 訪問もう一軒、木工「夢工房」の主、こちらYさんは道産子、齢80を超える。
 町でタイヤショップを営む、老後の〈余技〉というか、〈離れ〉の人生というか。
 「かみしほろ情報館」に作品の一部が展示即売されている。
 
 世界のどこの町にも、なかでも日本にはとくに、かならず器用な人というのが居て。
 産業とは別な世界で、町に彩りを添えている。
 Yさんは上士幌町の、いわば人生の水先案内人…といったところか。

 ぼく自身、都会に小さな工房をもち、いまは手仕事に勤しむ身ゆえ、骨身に沁みて痛切に感じることがある。
 それは、広さ。
 土地にしても構える仕事場にしても、なにしろ広い、うらやましいくらいに広い。
  
 ぼくが、日ごろ気づかう周囲への音の迷惑、そんなものもここでは、たちまちに風にはこばれ、空へと消えてしまう。
 「つくり」の世界につきものの、邪念とか、気の迷いとか、そんなものさえ、おなじ風、おなじ空を仰げば、吸いこまれて「あっ」という間にもうない。

 そんな恵まれた環境にあって、気が向かなければ、ストーブの前に一日坐っていればいいのだ、Yさんのように。
 なんの「柵〔しがらみ〕もない」という人に、とんでもなく多いのが「柵」というやつ。
 ぼくにもいっぱいある「柵」、それらをちょと横に置いて想えば、これこそ理想の生き方にちがいない。
 じつい、うらやましい暮らしぶりはあった……
 












足寄町

 そのあと、おなじ十勝圏の近隣、この日は東北側の2つの町、足寄と陸別を訪ねる。
 気軽な散策がてらの民情拝察なら、むかし国鉄時代は最寄り駅への「途中下車」、道路交通社会のいまは「道の駅」への立ち寄り。

 上士幌から30kmほど東の足寄町
 道の駅「あしょろ銀河ホール21」は、かつてあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」の足寄駅あと。
 その頃の駅舎や線路の一部がいまも記念に保存されてある。
 
 かつて、このレールは国鉄池北線(そのむかしの網走本線の一部)だった。
 ぼくは1972(昭和47)年、当時の池北線(池田-北見間)に乗車している。
 …が、その沿線風景、もうしわけないけれども「とらえどころのない荒野」の記憶しかない。
 これといった見どころのない、だだっぴろいだけの大地の広がりであった。
 (この鉄道の役どころは森林資源輸送にあった)

 その後、1987年に民営化(第三セクター)され、沿線の市町からは期待もされたが、もくろみは外れ、2006年にあえなく廃止。
 その頃の足寄にも、縁あってぼくは3度ばかり訪問。
 遊覧飛行を体験させてもらって、雌阿寒岳の裾野から大きく広がる牧野に眩暈さえ覚え、秘めた山の湖オンネトーに魂ゆさぶられ、骨太な木彫の置き物「どんころ熊」(この土産品はいまも健在)のとぼけた愛らしさに癒された覚えがあった。

 けれど、いまの足寄町、道の駅に掲げられた大きな垂れ幕には「松山千春デビュー40周年」の文字。
 そうか、なるほど、郷土の生んだ大スター。しかし、
 レストランで人気の一品という「スパカツミート」というのをほおばりながら、想った。
 
 たしかに、ぼくも口ずさみ親しんだ楽曲の有名人ではあったけれども。
 なぜか「えっそれしかないの」、ふと言い知れない淋しさがつのったのは、なぜだろう……















陸別町

 足寄からは、国道242号を北上して陸別町へ。
 この先、峠の向こうはオホーツク圏になる。

陸別だけが特に寒いわけじゃない、同じような寒さはほかにもいっぱい」
 と、近隣の住民はこぞって言う。けれど、
「日本でいちばん寒い町」
 の謳い文句の効果は絶大、走る道々、冷えが足もとからジワリ凍みてくる気がする。

 陸別町の道の駅「オーロラタウン93りくべつ」も、「ふるさと銀河鉄道陸別駅のあと。
 すぐ前にある気温の電光掲示板、ぼくらが到着した直後に「0度」から「-1度」に変わった、時刻は午後1時ころ。

 ここでは、「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」の乗車体験や運転体験、足こぎ式トロッコ体験ができるほか、宿泊施設も整えられているのだ、が。
 それらいずれも、いまは季節はずれでしかなく。

 ツルツルに凍りついた道を脇のバス亭へ、おぼつかない足どりで歩いてきた老婆が、
「いま、何度あんのかネ」
 電工掲示を覗き見て、ウォッホ…と妙な奇声をあげ、たまげていた。

 ぼくらは、町いちばんの自慢の施設、「銀河の森天文台」に行って見る。
 一般公開型としては日本最大級の反射望遠鏡をそなえ、プラネタリウムもある立派なもので、彗星や流星の観望会なども行われているとのことだったが。

 ぼくの目は、その高台から一望する”晩秋おさめの景” ともいうべき、うねり連なる原野の広がりに惹きつけられ。

 かつてのアイヌ民族の大地、あるいはそこまで南下してきたことがあるかもしれない、ギリヤーク(ニヴフ)の人たちの面影を、凍てつく空気のなかに懸命に追いもとめていた……

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 この日、アメリカ大統領選挙で共和党のトランプ氏が「まさかの勝利」。
 地球の歯車の嚙み合わせが無理に捻じ曲げられ、たまらずに悲鳴をあげた感があった。