どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

人生行事の「多事多端」

-No.1173-
★2016年12月07日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2099日
★ オリンピック東京まで → 1325日







◆きょうは、お葬式

 母方の叔父さんが亡くなった。
 命日が、奇しくも、うちの母(叔父さんの姉)とおなじ12月2日。
 享年95。
 さきの大戦で南方に出征、敵弾をうけ、右手の中指をなくしながら、その身は帰還を果たした。

 一日を生きて闘いおえたら、どんなにぼろぼろに草臥れていても、また明日の闘いにそなえ、かならず銃など軍装の整備をすませてから寝た。それをしなかった戦友は倒れていった…と言葉少なに語っていた。

 ぼくのこれまでの成長に、少なからず影響を与えつづけた、身近な人の死去であり。
 これで、ぼくのなかでの、個人的な〈戦後〉はおわった。

 胸にせまるものがあって、亡くなった翌3日、安置されたなきがらの枕辺へ。
 その途次、江ノ島の竜口寺に寄って、冥福を祈った。
 鎌倉時代日蓮聖人、龍ノ口法難の地に建つ寺は、叔父が後をついだ本家の宗旨本山だが。
 それより、子ども時代のぼくには、裏山でのハンモック(当時はまだ珍しいモノだった)遊び、想い出の場所。

 その懐旧の裏山に立つと、江ノ島の向こうに白雪の富士山。
 境内は、イチョウの黄葉の盛り。
 まぶしすぎるくらいの”男の見え”だったが……

 正直、ぼくはオチこんでいる。







 それにしても……

 こうした人生行事の多さにまぎれることも、やはり「多事多端」というのだろうか。

 それは去年〔こぞ〕の夏、義兄が癌を発症。
 かみさんの古里、津軽海峡沿いのイカ漁の町、渡島福島通いからはじまった。

 その秋、義兄が帰らぬ人となって、入院していた函館で家族葬。
 終えて、独り住まいだった家(かみさん実家、薬店)の片づけ、諸々整理におわれて年を越し。

 商いの店仕舞いにまつわるあれやこれやには、ふつうの家をおおきく上まわるものがあって、年が明けても始末におわれ。
 それでもすまない事柄のいくつかを、なるべくまとめての処理や仏事に、また海峡を渡る。

 この間、在京中には、ぼくの父方、甥の連れ合いに不幸があったりもし。

 いつのまにか一周忌が近づき、跡継ぎのない家(店)に別れを告げるメモリアルツアーの段どりに、また忙殺され。
 その間に、こんどは、かみさんのすぐ上の姉さんに癌の再発があって、見舞いの往復も北海道……

 なんとかスケジュールをやりくり算段、恒例の《11.3.11》巡礼の旅に、義兄の一周忌行事をくみこませてもらって、あいすませ。

 やれ一段落の間もなく、札幌から姉さん逝去の報……
 好きではない航空便の往復が、かわりに身体の休養にはなったのだった。

 そうして……
 晩秋の十勝に2週間、”移住体験”の滞在行。
 こればかりは、なんのしがらみもない旅、と言いたいところだが、じつは去年、義兄のことがあったためにキャンセルをした、そのリトライ。
 いずれにしても、もう「これでおしまいにしてほしい」と切に願ってのこと。

 年始の挨拶欠礼の葉書を諸方に送って後…の、こんどの訃報。
 それも、この叔父の、弟叔父の3回忌法要をすませたばかりのこと。

 ぼくにしてみれば、こんどこそ(ことしはもうおしまい)を願っての、お葬式だ……