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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-11日目-下北半島の

《11.3.11》・原発・エネルギー・災害・防災 旅・散歩・遊ぶ

-No.1170-
★2016年12月04日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2096日
★ オリンピック東京まで → 1328日







◆9月7日、薬研渓谷へ

 下風呂温泉の朝は、朝焼け。
 日輪の輝き澄明になっていくなかを、つぎつぎと漁船が海峡の海に出漁していく。

 きょう半日は、下北の休日。
 ふだんなら海沿いの道、潮風もとめて行くところだが。
 今朝の気分は(たまには山道…)。

 薬研渓谷は、海峡の町大畑から薬研温泉へと大畑川沿いに遡る、「薬研」の名のとおり細く狭まり流れる谷。
 ナナカマド、モミジ、ツツジ、イチョウ、ブナ、ケヤキ、ナラなどの樹々、とくに秋の紅葉美で知られるが、それにはまだ早い、いまは深く生い茂る緑のなかだった。







◆9月7日、恐山

 ぼくの下北は〈海峡〉からはじまり、〈恐山〉につきあたる。
 好きな北の大地を目指す連絡船のデッキからも、かならずその方角を見おくったものだった。

 「吸い寄せられる」のではなかったが、やはり「避けては通れない」こころもち濃厚。
 意を決して乗り込んだ大湊(陸奥湾側)からのバス、その乗客のほとんどに、ふつうの観光地に向かうのとは明らかにチガウ気分がただよっていたのを想いだす。

 このたびは逆のルートで、薬研渓谷の入口付近から山道に分け入った。
 
 ”まさかり”に例えられる下北半島の頭部、そのほぼ中央に盛り上がる朝比奈岳は標高900メートルたらず…ではあるけれど、ずっしりと重量感を湛えた山塊が息苦しいほどの密度をたもっている。

 車窓から、それこそ〈したたる〉ような山の気をとりこんで走り、車室内にすっかり染みこんだと思われる頃…。

 尋常でないまでに澄みきった宇曽利山湖に出くわす。
 「恐山」というのは、このカルデラ湖(宇曽利山湖)をとりかこむ外輪山の総称。
 また山号としての「恐山」は、正式には曹洞宗菩提寺(本尊は地蔵菩薩)のこと、ここは津軽三十三観音番外札所でもある。

 この地蔵信仰からはじまった死者供養の場が、「人が死ねば魂はお山(恐山)に行ぐ」と言い伝えられ、しだいにおどろおどろの色彩をおびていったのは、硫黄色に染まった火山岩の「地獄」風景と、死者の声を聞く「巫女〔いたこ〕の口寄せ」にあった……
 とはいえ、ともあれ、そう信じられるようになって長い時を経た霊場は、たしかに(たとえ晴れわたった空のもとでも)空気が肩のあたりに重く、幼児の供養にと供えられた原色セルロイドの風車、カラカラと鳴る音が見る者の魂をからからにしたのもたしか……

 そんなこんなが想いだされ、ぼくは思った。
 たとえ〈はぐれ魂〉になるともままよ、ぼく自身はけして人さまの〈肩の重荷〉や〈魂の渇き〉には加担したくない。
 よってボクはこのたび、「三途の川」に架かる橋を渡って境内に入ることなく、宇曽利山湖畔を辞去した。
 (ちなみに、かみさんはこの恐山行きにはじめから気がすすまなかったから、いうまでもなく異論はなかった)




◆9月7日、釜伏山

 恐山は温泉(ぼくはこの湯につかったことなくつかる気もない)施設でもあり、むつ市街からの参詣道は”湯坂”とも呼ばれる。
 その湯坂の途中から西へ、また山道を上り返すと、津軽海峡から陸奥湾までぐるり大展望の釜伏山に至る。
 宇曽利山湖外輪山中の最高峰、釜伏山は標高879メートル。
 山道の途中から遠望する湖畔には霊場も隠れて見えず、ごくあたりまえに山の湖だった。

 さらに進むと、一般車両通行不可のゲートがあらわれ、自衛隊駐屯地のエリアと知れる。
 釜伏山は、その手前を大きく左にそれて上がったところ。

 ここは一昨年の春、いつもとは逆コースの南下巡礼の折りに訪れようとして、春にはまだ早すぎる季節にはばまれたことがあった。 
 (-No.0218-2014年4月27日記事「見すごしにはできない仏が浦」http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=12921228815722721685

 展望台は、風の祭りのただなか。
 それでも吹きはらわれない靄にはばまれ、やっと津軽海峡はなんとか遠望したけれど、”まさかり”の柄の方、陸奥湾側は茫然と、ただ溶けて霞むばかりであった……