どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-10日目-野田村、久慈市、洋野町、六ケ所村… 

-No.1169-
★2016年12月03日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2095日
★ オリンピック東京まで → 1329日



◆9月6日、野田村

 普代村を経て、野田村へ。
 野田村の、かつての海の景勝、十府ヶ浦には広大な砂浜の背後に長大な防潮堤。
 交通を規制して営々とつづけられてきた工事の、全容がようやく見えはじめてくると、その膨大さにため息が漏れる。
 田野畑村の北山崎で覚えた現代の”鎖国”…の感、ここではますます現実味をまして眼前に展開する。

 ここに軍隊の姿があれば、あきらかに”防衛”の壁であり、それはある意味で”鎖国”の姿勢といってもいい。
 なぜかいま、中国というアジア大陸の内陸国が、はっきりいえば海への出口、海洋の版図をもとめて蠢いている姿勢と、ダブって見える。
 どっちもどっち……か。







◆9月6日、久慈市

 岩手県北の主邑。
 久慈市に入って、またボクの頭は、〈大津波〉モードから〈台風被害〉モードに切り替わる。

 台風10号の爪痕をたずね、久慈川の支流、長内川の橋上に立つと。
 河原のあちこちに真新しい泥土の堆積が見られ、川が暴れた痕を曝しており。
 すぐ近くの堤防下住宅では、下水から溢れ出た水の後始末に働く災害復旧部署の姿が見られ、隣接する小学校の校庭は半分が泥土に埋まりひび割れてきていた。

 災害列島ニッポンの図、ときは経ち景色に差はあっても、その本質にチガイはない……









◆9月6日、洋野町

 岩手県最北の洋野町
 三陸特有の断崖・岩礁海岸を離れて、このあたりは一転、遠浅の浜つづき。

 この海岸地形をうまく利用して、この町は”海の畑”ウニの増殖溝、浅瀬にコンクリートで囲った養殖プールのある風景で知られる。

 しかし…その風景を愉しみに訪れたボクには、季節の観念がかけていた。
 じつは潮汐の関係で、岸からウニの増殖溝が見られるのは春から夏場にかぎられる、とのこと。
「その頃になったら、また来てもらうしかないよなぁ…」
 (失礼しました)

 JR八戸線陸中八木駅に近い浜では、海からはかなり引っ込んだところで防潮堤工事が進み。
 《11.3.11》被災でいったん仮置き場に移され、再度の出番を待つ?…「昭和八年津波記念碑」が静かに陽の光を浴びていた。

 「想え 惨禍の三月三日」を中に、
 右に「昭和八年三月三日」(昭和8年は1933年) 
 左に「午前二時五十二分」
 (そうだ……事象の事実はコレあるのみ)

 筆太に刻まれた簡潔な碑文に、黙礼、別れを告げた。



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◆9月6日、六ケ所村

 これで、とまれ、ひとつ区切りがつく。
 青森県へ。

 下北半島に入り。
 原子力ムラの六ケ所を抜け。

 ここではいつも、風景としては風力発電の風車に迎えられる。
 似あっている……そこは、なにより風車が似あう風土であるが……

 (目には見えない)原子力であれ、風力であれ。
 はっきりしているのは、産生された電力がけっして〈地産地消〉の幸ではない、ということ。

 想えば、むごいことダ……

 ぼくらは津軽海峡にでて、これも準定番の下風呂温泉に宿る。