どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-9日目-山田町・宮古市街/

-No.1162-
★2016年11月26日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2088日
★ オリンピック東京まで → 1336日











◆9月5日、山田町市街地

 船越半島から北へ、坂を下る。
 山田町の市街地が立地するところは、この国の沿岸部によく見られる〈釜〉あるいは〈釜谷〉と呼ばれる地形になっている。
 湾入の奥に口を開けた〈釜〉には、波水が浸入しやすく、くるっときれいに洗われやすい。

 《11.3.11》の大津波にも、そのとおりにやられた。

 いま、その〈釜〉に蓋をしようという大工事が始まっている。
 港は、岸壁と漁業関連施設を海側にのこして堆〔うずたか〕いコンクリートの壁に囲まれ。

 さて……市街地をどうしたものか、悩んでいるように見える。
 この山田町というところは、被災以来、復興の計画、考えに厳としたところがない、感がある。
 余所目には、そんな匂いが空気に嗅げてしまう。

 それがどうか、杞憂であってほしい……
 










◆9月5日、宮古湾最奥

 山田町をすぎ、さらに北上する「浜街道」国道45号は、重量感ある重茂〔おもえ〕半島を右手に山のなか、峠を越える。

 下った宮古湾、実験中の試験管みたいに湾入した奥、底にあたるところに「津軽石」という土地がある。
 ぼくはかつて、ここから、《11.3..1》後はじめて重茂半島を訪れ、月山の上に立って宮古湾の成り立ちを確かめ、このたびの大震災でまた一躍、有名になった「ここより下に家を建てるな」の碑をのこす姉吉の集落にナットク…もした。

 その、津軽石。
 宮古湾の最奥(底部)に流入する津軽石川をわたってすぐの半島側。
 赤前という土地にあった野球場が、大津波のさいの緊急避難所となり、浚われた後ながらく廃墟の姿を曝していたのだが…。

 こんど行ってみたら、新しい野球場の工事が進んでいた。
 ………???………
 ぼくの頭は、ちょっと混乱しかける。

 (なぜ野球場が先なのか)
 どうも被災地では、建築関係の人材・資材が不足している、というのはホントウらしい。
 それにくらべれば、土木関係のほうがいくらかはマシ、ということなのだろうか。
 ワカラナイ……が。

 この先々でも、復興の旗印みたいな形の新球場を、ぼくは各地で目にすることになる。
 それは、巨大な防潮堤とセットといっていいくらいに想えた。
 





◆9月5日、宮古市

 宮古市街に入って閉伊川を渡る…と。
 道路が、折からの晴天のもと白っぽく埃っぽいようで、道路脇のようすにもおちつきがない。

 すぐに、ぼくは(水が出た)ことに気づく。
 ぼくも幼児、東京都との境を流れる多摩川の洪水体験などあったから、川が溢れたあとの泥の層のしたたかな重さ、後片づけの厄介さ、身に沁みている。

 これが、台風10号の被害、旅先で目にした最初。
 ぼくの頭のなかで、「津波」モードから「洪水」モードへの切り替えがおこる。
 ガソリンスタンドや駐車場など、地面にスペースのあるところの泥の層に覆われ、まだ乾いていなかった。

 車を停める余地とてない町中を、仕方なく2度も3度も堂々めぐり。
 民家や商家で、浸水処理に追われているところもいくつか目にした。

 「災害の追いうち」が気にかかったけれど、さいわい川筋を離れたところには、なにごともなかったような日常の風景が広がっていた……