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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-6日目-陸前高田③/  高田あれこれ…復興と大震災の傷痕と…

-No.1132-
★2016年10月27日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2058日
★ オリンピック東京まで → 1366日




◆9月3日、脇の沢

 広田湾の湾奥にぴょこんと突き出た岬、米ヶ崎のすぐ脇、かつて大船渡線に脇の沢という駅があった。
 脇の沢の漁港からは、高田松原防潮堤の全貌を海側から見通すことができる。

 しかし、その漁港には、いまだに、あの大津波被害の痕跡が遺って、見るものの目を痛くしていた……
 事情は知らぬが、なにかの理由があって、推進される事業の影に放置されるものもある……











◆松原防潮堤、再見

 水際に近い道をたどって、もう一度、高田松原の防潮堤を見に行く。
 あらためてスゴイ、どこでもスゴイことになっているが、ここ陸前高田もスゴイ…凄い。

 なんやかや言っても、こういう巨大プロジェクトというか、ダイナミックに展開される工事には、なんとも説明しようもなく心揺さぶられるものがある…のは、あるいは男の性に特有なのだろうか、助手席のカミさんはスマホで、誰ぞに送るメールに夢中……

 盛り土工事が営々とつづく新市街予定地に入ると、(おや…)と意外な旧知の存在があった。
 間近の海に正対して、かつて《11.3.11》以前はたぶん、人気のアパートメントでもあったろうか集合住宅の、建物だけがやや傾きかけながら、変わりゆく周囲の景観にとりのこされている。
 ここだけが、あの日のまま…というのは、なにかよほどの深い事情があるのだろうか、トータルにさま変わりしていくなかでの孤影は、やはり気にかかる存在だった。

 中心部に近い盛り土の上に、再建なった「キャピタルホテル1000」がある。
 ここも定点ウォッチ・ポイント。
 いちど泊めてもらった”都市ホテル”は、気分もよく、リピーターになりたいところだったが、その後は、あいにくスケジュールとの折りあいかんばしくなく、満室ゴメンがつづいている。
 
 ここから眺める市街地から松原跡にかけての、ダイナミックな復興のうごきは見ものであったが。
 いまは、そのすぐ目の前を、後背住宅地へのアプローチだろうか、素晴らしい道路が上へ上へと延びていた。




◆第一中学校仮設団地

 市街地を見下ろす高台に、第一中学校を訪ねる。
 定点ポイントではなかったが、学校の校庭が仮設住宅団地になっており、それも窮屈なところが多いなかでは土地・空間にゆとりがあって気分もかるく、折あれば訪れて住民の話しを聞いてきた。

 ここも、校庭の外れから市街地の眺めがよかったのだが、このたび行ってみたら締め切りになっており。
 仮設団地の終了も、遠い日のことではなさそうに想えた。





◆復興住宅県営鳴石アパート

 街なかを抜けていたら、真新しい造りの一画に偶然めぐり会う。
 ぼくがもつ「アパート」の概念とは異なる建物群ではあったが、これも復興住宅の一形態にはちがいない。
 
 こういう現実の、ひとつひとつを見れば、たしかに復興は進んでいるように見える…が。
 そのいっぽうには人知れず、この地を離れて行く人々もあり、なかなかそちらの方の実態はつかみきれないだけに、先々、町のなりたち、なりゆきが案じられてならない。

 そして、新しい町のカタチだけがのこった……ことに、どうかならないでほしいと願う。 





大船渡線小友駅

 町なかの変貌ぶりに、ふと……(あそこはどうなったろう)気がうごいて。
 ふたたび広田半島へ、箱根山の麓へ、大船渡線小友駅を再訪してみた。

 あの《11.3.11》の大津波が、西の広田湾と東の大野湾から渦を巻いて押し寄せ、この辺りで交々にうちあたり、地物を浚っていったところ。
 赤錆びた線路だけがのこる駅は廃墟そのもであった…わけだが。

 こんど行って見ると、ここにも、とうぜん新たな動きがあって。
 線路は撤去され、軌道敷きには土が入って整えられ、BRT(バス高速輸送システム)の駅(停留所)が新しくお目見えしており。
 そこには事実上、これで大船渡線のレール復活はありえない、気分がみなぎっていた……