どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-5日目-南三陸町~気仙沼/旅の道中で、ままあるエア・ポケットな1日…

-No.1127-
★2016年10月22日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2053日
★ オリンピック東京まで → 1371日





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◆9月1日、南三陸町

 「未希の家」の朝。浜からの声を下に聞く。
 この別棟は、母家より2段ほど上に造られ(首都圏では贅沢なほど材が使われている)、さらにその上にも新築の家がある。
 いずれも大津波の後に開かれた宅地とのこと。
 母家の仏壇に、未希さんの冥福を祈って、辞去。

 山中を縫う細い県道を抜けると、国道45号に入るところで(?………!)見覚えのある線路の橋脚、崩落の跡に出くわす。
 JR気仙沼線清水浜〔しずはま〕駅だった。
 国道を走るたびに、いつも気になっていた鉄道被害現場のひとつで(上の写真は2013年春、雨に煙るなか撮影したもの)、しかし逆方向から見ると情景がちがっていたのだった。

 気仙沼線はあの日以来、列車の運行が途絶えたまま…。
 JR東日本は復旧をあきらめたのか、BRT(バス高速輸送システム)への切り替えに熱心で、各地でレール跡の舗装、バス専用道路化が進んでいる。
 いま工事中の清水浜駅あたりにも、いずれBRTの停留場が出現するのかも知れない。


◆歌津半島

 北上して、南三陸町の北端、歌津半島。
 ここは、まだ訪れたことがなかった。

 見知らぬ土地をはじめて訪れるときには、地名とか地形とか集落の在りかたとか、なにかしらの”きっかけ”、”手がかり”がいる。
 アテもなく迷い込む(実際そんな感じ…)のには、不安がともなう。

 歌津という地名には、前からこころ惹かれるものがあったが、いざ(行ってみよう)という気になったのは、あるドキュメンタリー番組を観てからだった。
 ワカメやホタテの養殖漁業を中心とする馬場中山という集落の人々が、その復活を目指しておこした「なじょにかなるさプロジェクト」の意気込みがよかった。
 ドキュメンタリーのクライマックスは、津波で流失した漁船の代船をもとめ、メンバーが北海道まで渡って買い付け、それを操船して故郷の港に帰ってくるという場面が、ドラマにはない感動を呼んだ。

 その馬場中山、港を望むトレーラーハウス「カフェ・かなっぺ」は、思ったよりも国道入口から近かった(見知らぬ土地への距離感は増幅する)。
 オーナーの千葉馨さんの顔には、テレビ画面で見覚えがあった。
 「なじょにかなるさプロジェクト」の事務局長役を務め、ホームページを駆使して地域の実情を発信してきた人。
 そして奥さんの嘉苗さんは、ここへボランティア活動にきて馨さんと知りあった。

 焼きたてのお菓子と飲み物で憩いのひととき……
 目障りになるものがない、のはステキなこと…だが、それを知ってもらうこと…はもっとタイセツなのだった。

 歌津の復興、再生にはなお時日がかかること、いうまでもなく。
 馨さんのホームページ「馬場中山カオル商店」(http://www.chibakaoru.jp/index.html)を、ご紹介しておくことにする。

気仙沼

 赤崎(小泉)海岸、登米沢海岸。大谷海岸を経て、気仙沼市街へ。
 天気の佳さ、空気の爽快さが、いやでも気をゆるめる。
 
 旅の道中では、ままあることだが、欲も得もなくただ風に吹かれていたい気分…にふと、ひきこまれてしまう。
 「けせんぬま」という地名の響き、気どらず、稚気ある音感もよく、「とくな地名」のトップクラスにまちがいない。

 すっかり綺麗に化粧直しされた港の岸壁、「お魚いちば」のすぐ眼の前を大島通いのフェリー、これもすっかり綺麗になったのがすぎていくと、「まぁいいかぁ」気分にどっぷり。

 大島瀬戸に面してある九十九鳴き浜、探訪の意欲もすっかりうすれて、(またこんど…)と思う。
 そくへは震災直後の道を、ずいぶん難儀して辿ったにもかかわらず、復旧工事中の柵にはばまれた記憶が根強いせいもあり。
 ぼくは車のアクセルを踏んで、岩手県境の峠を越えて行った。