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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-4日目-南三陸町②/  「未希の家」…若き尊い命を想う一夜

《11.3.11》・原発・エネルギー・災害・防災 旅・散歩・遊ぶ

-No.1126-
★2016年10月21日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 2052日
★ オリンピック東京まで → 1372日
















◆8月31日、南三陸町荒砥

 〈荒野の新開〉想わせる南三陸町の中心街志津川
 盛り土の上のコンビニ駐車場から、今夜の宿り、民宿へ電話。
 そうしてくれるように、との指示にしたがった。
 道順の説明があるかと思ったら、迎えに来てくれるという。
 
 待つこと、しばし。
 軽トラックであらわれた宿のご主人、やさしい笑顔の沁みる方。
 「道が狭いので…気をつけて後について来てください」と仰る。
 一歩、街なかを離れるとリアス海岸のクネクネ、アップダウン細道が延々とつづく。

 途中、一昨年の夏に泊めてもらった民宿の脇を通りすぎる。
 そのときは、ナビをたよりになんとか辿り着けたのだが、庭への駐車に難儀したことを想いだす。

 旅人都会人の乗りものは、中型車でも、軽トラ標準の田舎道にはなじまない。
 (ちなみに、ぼくの車はエクストレイル、前に乗っていたエルグランドの大型が、被災地ではヒンシュクものだったのに気がひけて…乗り換えた事情はすでに述べた…)

 対向車があれば、たがいに譲りあって、さて、どれくらいか…の時を経て、小さな浜に着いた。
 荒砥といって、二つの崎に挟まれる格好で志津川湾に南面する。

 浜の背後、坂道にかかる手前に大きな漁家があり、庭の隅に「未希の家」の看板があったが、ここは母家。
 民宿の別棟は、ボディーを擦りそうな石垣の間を、そろりと上がったところにあった。

 この、1日1組かぎりの小さな宿ができてから3年半。
 (いちど…)の思いが、かえってぼくを臆病にさせ、泊めてもらうことができずに、きょうまで。
 その心理を、親しい友人・知人は「思いすごし」といい、まさしくそのとおりではあったけれど…。

◆「未希の家」

 遠藤未希さんという、若い、南三陸町の危機管理課職員がいた。
 あの日……。
 「早く、早く、早く高台に逃げてください」
 防災庁舎から必死・懸命に呼びかける声を、母美恵子さんは(防災庁舎からは直線距離で約4キロの)ここ荒砥の浜で聞いた。
 
 目の前の海が、怖ろしいくらい遠くまで引いて、水底があらわになり…。
 美恵子さんは、家族と、家と、集落の守りに、無我夢中ではたらき…。
 大津波がおしよせるまで、それからおよそ30分…。
 あとで気がついてみると、(未希の呼びかけ、未希の声)は、ついにはじめの一度しか聞いていなかった…。

 家は、流されずにはすんだけれど2階まで波に洗われ、それからの避難生活のなかでも、(きっと未希もどこかに避難しているはず)の思いに、かわりはなかった。

 しばらくたって、夫妻で山中に道なき道をもとめ、町の避難所を訪ね歩き…。
 錯綜し、混乱する情報のなかから、防災庁舎、終末のときの模様を探りとる…。
 未希さんは最後まで、「早く逃げて」と、呼びかけつづけていた…。
 ほかの同僚たちは、ぎりぎりの状況で屋上に避難したらしい…。
 それで、助かった人も、助からなかった人もあった…。

 ただ、なっとくのいかないことが、のこったのは…。
 危機管理マニュアルどおりの指示系統が、最後まで守られていたのか、どうか…。
 マイクを握りつづける未希さんに、「避難」の指示は、なかったのだろうか…。

 両親の思いは、そこに、つきる。
 未希さんの遺体は、4月下旬になって、近くの海で見つかった…。
 あの日の無念は、かずかぎりがない、けれど…。

 最後まで避難を呼びかけつづけた未希さんの声を背中に、災害にむきあう心もちを忘れないこと、自然への畏敬の念を育んでもらうことを、つぎに伝え「語り継ぐ」宿、それが「未希の家」。

 ようやく叶った宿りは、《11.3.11》巡礼者のぼくにとって、もうひとつの「折り返し」にちがいなく…。
 けれども、未希さんのご両親にとっての「折り返し」に、こころ寄り添えるかどうかは、これが「はじまり」にちがいない…。
 
 南三陸町の防災庁舎を、震災遺構として遺すかどうかのの判断は、宮城県の裁量で10年後まで結論が先おくりされた。
 江戸っこ気質のぼく、本質は〈先おくり〉が苦手なのだが、この件については(それもよかろう)と思う。

 広島の原爆ドームにしても、永い思慮分別の歳月を経て、ともあれいま現在の世界遺産としてのこる。
 かたむきかけた残照、赤光のなか、盛り土に埋もれかけて見えた防災庁舎だが、このさき、幾星霜を経てなお、なにを語るか。

 そのときを待つ、こころ清かであるなら、結果はどうあってもいい気が、ぼくにはしている……