どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-4日目-雄勝~南三陸町/震災遺構保存も、観光復興も…ままならぬ

-No.1124-
★2016年10月19日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2050日
★ オリンピック東京まで → 1374日









◆8月31日、大川小学校

 女川の市街をあとに、国道398号は太平洋を眼下に懸崖を辿る。
 この道、春は千本桜と称される桜の名所と聞くが、いまだに花見に恵まれたことはない。
 台風一過…雄勝湾の海景が、夏の輝きをとりもどしていた。

 雄勝半島の喉元をすぎ、北上川に架かる新北上大橋のたもと。
 あの《11.3.11》以来、この信号は〈通り抜け無用〉になった。
 橋畔の低地にのこる〈悲劇の大川小学校〉跡は、これも、否応ない定点ウォッチ・ポイントのひとつ。
 そこでは、あのとき、児童・教職員あわせて84人が死亡あるいは行方不明になった。

 荒廃した学校跡から振り返る新北上大橋は、その橋脚が、津波の濁流に運ばれた流木をひきうけ堰となり、河畔に甚大な被害の洪水を溢れさせたことを想うと、ついには不都合としか言いようもなく、ただただ恨みがましいばかり。

 あれこれの物議をかもし、さまざまの恨みつらみを抱えたまま、石巻市が震災遺構として保存する方針をかためたあとの、この夏。
 生徒が描いた宮沢賢治雨ニモマケズ』のモチーフ壁画が、これまでにも増して存在感をつよくしていた。

 ここに、どんなかたちの遺構保存がなされ、それが関係者ばかりでない多くの人々に、いかなる心情を醸成することにになるのか……

 その大川小学校はこの春3月、震災時1年生だった子らの卒業式を迎えた。
 当時の1年生は15人、うち5人が犠牲になり、この日、仮設校舎での卒業式にのぞめたのは7人。
 亡くなった子らの保護者たちにも卒業証書が手わたされた……

 なににしても、すべての人によい、ことはけしてない。
 それを、やむをえない、と思いきってしまうことの傲慢。
 しかも、ぼくら人の多くは、その〈思いきられる〉側にいつもあり。
 そうして、いつかは〈思いきる〉側に立てる日を、せつなく渇望していたりする……


 







◆8月31日、北上川河口

 大川小学校から、さらに河口の長面浦〔ながつらうら〕
 雄勝半島に深く食い入った海の痕が、あの大津波で息を吹きかえし、無人の太古に還った感がある。
 
 その変貌と、現代の懸命な防衛線のありさまは、北上川の対岸、北上町の側から見ると、営々茫然として声もない。
 しかも付近、周辺には、人の気配すら、極々わずかにしか感じられないのダ。

 国土防衛(単に軍事の狭義でなしに)の観点からいうなら、これほど労多くして報い少ないことはない……




◆8月31日、神割崎

 石巻市南三陸町との、ちょうど境目あたりに、名勝「神割崎」がある。
 自然の、巨大な岩礁の裂けめに、怒涛逆巻く豪快な海景。
 
 通るたびに気にかかりながら、これまで立ち寄らなかったのは…。
 こうした太平洋沿岸部の名勝・奇勝、そのほとんどが大津波の被害に遭ったまま、やむをえず捨ておかれてあったから。

 ここもまた、遊歩道の一部が崩れて通行できなくなっており、キャンプ場も閉鎖されていた。
 多くの観光地が、復旧もままならないままに放置され、つまるところ、いずれ〈自然淘汰〉されるのを待たされている、のが現状だった。