どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-4日目-女川②/   いつも海を身近に感じられるしあわせ

-No.1121-
★2016年10月16日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 2047日
★ オリンピック東京まで → 1377日















◆8月31日

 復興・新設なった、石巻線の終着駅女川。
 昨年は、駅なかのお風呂「女川温泉ゆぽっぽ」につかってから、50キロ近い距離を走った。
 入浴は「お疲れ」、1日をおえることだったボクには、珍しい体験であり、(じつをいうとクタビレた…)。

 駅前からつづくゆるい坂道に沿って、「シーパルピア女川」の商店街がある。
 こんど、ここのパン屋さんで「さんまパン」というのを見つけ、その日の昼に食べた。

 いまどきは、どこにも見られる新しくデキた町の風景ながら…。
 目の前に海が開けている開放感と安心感、これはどういうことだろう。
 あの怖ろしい大津波が押し寄せた海だというのに、けっして海そのものに厭悪の感情はないことを知る。
 むしろ、いつも身近に感じていられることは幸せなのだ、たぶん多くの人にとって。
 ぼくたちの命は海に起源するから、だろうか…。

 実際、ぼくが身をもって感じたのは、高い(向こうに海の見えない)防波堤の陰に立ったときに募る不安であった。
 見えているのがふつうなのだ、見えていないほうが不自然なのだ。

 あとは避難のケジメをもつこと、いざとなったら背後の高みへ逃げられる体力をもっていること。
 釜石で行われるようになった津波避難の「韋駄天競争」(-No.898-2016年3月7日記事)みたいな行事が、沿岸部各地にあたりまえの行事にならなければイケナイだろう。

 女川町の復興計画の基本も、海沿い低地は盛り土のうえ商業・事業地区に、住宅は高台に移転する。
 その移転住宅地はいま、まだ造成の真っ最中だったから…。

 ふと想いだして、建設当時、評判になったユニーク仮設をひさしぶりに訪ねてみた。
 そこは町役場仮庁舎のある女川湾、背後の高台。
 運動公園のなか、野球場に設けられた仮設住宅、バックネットやスタンドはそのままに、内外野のグラウンドを活用して建てられ、3階建てという構造もマンションふうで気が利いており、コミュニティー広場なども開放的にできていた。

 バックネット背にする不思議空間のそこは、あのときから年月を経ても変わりなく、屈託なげに…。
 ただ、やはり、居住する人の数は徐々に減ってきているようだった。

 こんな復興計画の優等生、女川町でも、すべてがウマくいっているわではない。
 当初、予定された集団移転の構想は、「震災前のように」と望む住民になかなか受け容れられず、思うように統合が進んでいないらしい。

 人は、革新的とみられる人でもじつは、変化を好まない、こと自身については保守的な人が少なくない。
 その意識をかえさせるには、それなりのアイディアも仕掛けも必要ということ……
 つくづく、人はむずかしい。