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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-2日目-仙台・奥松島/復興、進んではいるが…まだウレシさはない…

-No.1113-
★2016年10月08日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2039日
★ オリンピック東京まで → 1385日












◆8月29日、仙台市若林区

 閖上大橋で名取川を渡ると、仙台市
 …といっても、《11.3.11》の大津波被害があるまで、若林区には縁がなかった。
 伊達政宗の事蹟、貞山堀の知識はあっても、とくに訪れてみたくなるきっかけもなかった。

 阿武隈川の河口から、仙台空港を経てこの辺りまで、瓦礫だらけ泥まみれの道を行きつ戻りつさすらったときには、なんども途方に暮れた。
 なにしろ道を尋ねようにも、人気なく、道はいたるところで途切れたり、消え失せたりしていたのダ…。

 そんななか荒浜の、もじどおり荒んだ被災跡に、大きな慰霊の観音像が立ったときには、メン喰らった。
 正直、まず生き残った者の手あてが優先されるべきだろう、と思ったし。しかもそれが、沿岸各地のあちこちに同趣の設置が目だった時期でもあったからである。
 まず犠牲者に慰霊の掌をあわせるのは結構なこと、とはいえ……
 
 実際ここでも、住民と行政の思惑の違い深刻だったし、それがいまだに尾をひいてもいる。
 ひさしぶりに訪れた海岸防災林の流失痕、「祈りの塔」近くには、遮るものがなくなった海風を吸収して活かそうと、風力発電システムの実証実験が始まっていた。
 太陽光発電も加えた再生エネルギー電力で、観音像や慰霊碑など一帯に光明を提供しようという、こころみやよし。

 大津波に洗われたが建物はシッカリのこった、荒浜小学校の校舎屋上が、とりあえずいまは緊急一時避難場所になっているのが、ホッと心和む救いになっていた…ことなども含め。
 そのさきに、復興への道すじ明るいものがあれば、言うことはない。



東松島市戸島

 松島湾を自動車道で迂回、鳴瀬川の河口からまわりこむ。
 行政は東松島市、観光でいけば奥松島。ここも野蒜海岸などの景勝地が大きな被害をこうむった。

 あくまでも外部からの散見ながら、東松島市は他にくらべ、復旧・復興の進んでいる地域に思えるけれど。
 ただし、それも大まかに要所要所の話し、これからさきは、細かい気くばりに力量が問われることになろう。
 
 いまは陸つづきのようになった宮戸島
 「大高森の壮観」や嵯峨渓で知られる海浜のひとつに月浜があり。
 ここの民宿「山根」も、被災地東北巡礼の定宿のひとつになっていた。

 今回はざんねん、宿をお願いできなかったが(昨年は泊めていただいている)。
 電話にでた奥さんから、耳寄りな情報をいただいた。
 それは、あの《11.3.11》以来ずっと、仮設住宅地になっていた月浜海水浴場の駐車場。
 「山根」のすぐ目の前のそこが、この1年の間に仮設住宅撤去になったという。

 それを見とどけたくて、そろそろ陽もかたむく頃にうかがってみると…。
 なるほど、きれいさっぱり(下の写真)。
 海水浴客たちのための広い駐車場に…返り咲く…というのはこのことか。

 かわりに、というか、新しい防波堤にうまれかわった月浜の浜砂は、痩せてきたとのこと。
 万事にそつがない、というのは、やはりムズカシイことのようだった。
 (-No.0719-2015年9月10日記事http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=6653458415120574626

 今夜の宿りは、東松島市でもやや内陸のフォーシーズン矢本。
 宮戸島での暮らしにみきりをつけた人々の、多くが移住している地でもった。