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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-2日目-閖上・日和山/拠りどころをうしなった…被災地のこれから

-No.1111-
★2016年10月06日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2037日
★ オリンピック東京まで → 1387日















◆8月29日、ギロリ目を剥く風景の記憶

 名取川に架かる閖上大橋の手前…その変則十字路になった交差点を突っ切ると、途端に「風景がギロリと目を剥いた」のを忘れない。
 瓦礫の迷路を懸命に抜け出て辿り着いた堤防上の道…はじめに気づいたのは、防寒のフードを目深に、手をとりあって川面を見つめる母子の姿だった。
 「えっ!?」と思って、見なおすと、その目線のさきにいたのは若く逞しい男。
 なにかの映画の1シーンみたいに、およそ似あわない大きな花束を手に、吹く風に逆らっていまやそれを、河口近くの流れに投げ込もうとするところ。

 「ばかやろう」と叫ぶような感じで……
 ぼくの脳裡にストップモーションがかかった、ひとコマの映像。
 あとで聞けば、その妻女の夫は、親しい友の命を救えず大津波に失ったのだという。

 この閖上での記憶は、《11.3.11》後もっとも鮮烈なもののひとつであった。

 さて、その閖上
 他のどこよりも早く、自治体が復興への道すじを示しながら、それが住民の反発をまねいて混乱し、紆余曲折する羽目におちいった経緯があり。
 それもくわわって、忘れがたい地になっていた、わけだが。

 こんどは……
 しばらく前まで見知っていた風景がガラリと一変、拠りどころもナニもなくなっていた、ひとつめの場所、になっていた。

 盛り土・嵩上げが進捗すると、盛り土の丘と丘とがくっついて、かつての地物を視界から奪い去ってしまったからだった。
 ぬかるんだ道が盛り土の頂点になるあたりで見まわしても、震災遺構になっていた小学校もなければ、住宅も路地も一切合切が消えて、まったく別の町になっており。
 そんななかに、やっと、閖上湊神社の避難遷座した日和山だけが旧知の存在。

 仮設の社務所に尋ねても、みんな「なくなりました」、「移りました」。
 あと2年で、民家住居のない商業・事業地が新興され、閖上湊神社の再建はその後のことになるだろう、という。
 
 それでは、あのすったもんだのあった住宅地はどうなったか…というと。
 あのギロリと目を剥いた風景に至る変則十字路交差点より内陸側に、初の公営住宅ができていた。

 先進だったはずの復興計画は進捗が遅れ、この6月に完成したのは、わずかに戸建て25戸。
 この地にいずれは、集合住宅もあわせて約500戸の災害公営住宅が整備される予定とか。

 浜の商工業地にしても、山側の住宅地にしても、できあがって、なお、いくばくかの歳月を経てみなければ結果はワカラナイ。
 ワカラナイけれども、ヒシヒシと迫りくるのは「まにあわせ」感ばかり。
 ゆとりや夢のある空間への指向性はヨミとれなかったのは、ぼくの感性がおよばないからだろうか……