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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-2日目-松川浦/  〝常磐もの〟の浜がこんどは台風に怯えていた  

-No.1109-
★2016年10月04日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2035日
★ オリンピック東京まで → 1389日











◆8月29日

 新装なった新松川浦漁港の岸壁に立って、松川浦大橋を望む。
 東日本大震災《11.3.11》大津波のあった、あの夏……。

 あの日から1ヶ月後の4月はじめてのときには、岩手・宮城1泊2日がやっとだったぼくたちは、ようやく新たな覚悟をもって福島から、被災地《巡礼》北上の旅の途についた。
 飯舘村、目には見えない汚染の山野から下って、沿岸部のかわきりが、この松川浦であった。
 瓦礫の撤去もままならない、凸凹に荒れ果てた漁港…夏というのに吹く風の冷たさに震えながら、ぼくは手帳にメモもとれず、かわりに手にしたボイスレコーダーにも語りかけることができなかった。

 そのときも、松川浦大橋は見た目、難を免〔まぬか〕れていた。
 橋の形が壊れることはなかったけれども、そのさき鵜ノ尾岬から大洲海岸一帯が潰滅したために、あの日から通行止め。
 入口の交差点に、赤旗ふりかざす警備員が…いまも、ほぼ同じ位置に椅子を置いている。

 新装なった岸壁と漁港施設が、いまなおつづく試験操業状態に意気上がらないのとおなじく、せっかくあっても渡れない橋の存在が、なにしろ迷惑そうに見えてしまう。
 2日、大洲海岸の記事では、ほとんど観光目的だけの道路に膨大な金をかける愚に疑問をもらしたが、あらためてこちら側に立って見ると、渡れない橋はやはりこのままではイメージがわるかった。いちどできてしまうと、ひっこみがつかない。
(いうまでもないが、カネを注ぎこめばいいというものではない、ミアウかどうか…だ)

 《11.3.11》以前は、〝常磐もの〟のブランドで知られた浜は、そのとき…。
 台風の東北地方初上陸か…でソワソワ落ちかないふんいきだった。

 ボクなんかも、(ほんとにそうなのか?)半信半疑だったけれど。
 どうやら観測史上、最初の上陸地点が東北地方になったことはない、ということらしい。
 岸壁に係留したシラス漁の船の、守りをかためている漁師さんに声をかけると…。
 「津波の経験はあってもな、こんなふうに台風がくるなんてナカッタもんで、どうしたもんか弱ってるさ」
 度胸勝負の海の男がマジに表情をくもらせる。

 こんな光景が、あちこちで見られる、一種の不思議世界に松川浦はあった。
 狭い岸辺、川口稲荷神社の〈境外〉には、流失後ガレキのなかから発見された石碑が、相馬双葉漁協の手で保存されており。
 いちおうの修復が成った浜、装い新たな旅館街にも、まだ海遊びや釣り客の姿はもどっていない。

 ようやく営業再開にこぎつけた海産物のお店に、客は地元の主婦がパラパラ。
 今夜の宿での夕餉用に、タコとツブの刺身を食べたいとお願いしたら、大盛りのパックを半分に分けて、包丁を入れてくれた。
 (こういうときのために、ボクらは車のバゲッジルームにクーラーボックスを積んである)
 どうかこの、きめこまかなサービスを忘れないでほしい…と思う。
 ぼくたちは土産に、予定外の乾物まで追加購入することになったのだった。