どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-2日目-大洲海岸/  無人の砂州浜につづく長大防波堤のゆくえ

-No.1107-
★2016年10月02日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2033日
★ オリンピック東京まで → 1391日






◆8月29日

 ぼくが名付けた「出もどりスケバン」台風10号の北上、接近がつづくなか。
 ぼくら巡礼宿のひとつになったホテル、コーラス相馬から津波の海辺へ。
 相馬の海の景勝、松川浦を細腕にかいこむ大洲海岸を目指す。

 いま「細腕にかいこむ」と表現したのは、地図を見てもらえばよくわかる。
 変化にとぼしい常磐の太平洋岸を南から北へ、約7キロにわたってほぼ真っ直ぐに伸びる砂嘴
 ふつうの地図には、ひとすじの道しか描かれていない。

 かつては、にっぽんの渚100選、白砂青松100選にも選ばれた大洲海岸。
 1995年、北端に松川浦大橋が架かってからは”大洲松川浦ライン”と呼ばれる観光道路になっていたわけだが。
 あの《11.3.11》で、陸前高田の松原とおなじく手酷くやられた。
 その被害の報道に天地ほどの差があったのは、後背に人口集中地を控えていなかったから、にすぎない。

 あのとき以来、ここを訪れるのは3度目になる、けれども。
 いずれも天気には恵まれず、いつもこんな、いまにも泣き崩れそうな曇天ばかり…。

 薙ぎ倒された松の樹をふくむ瓦礫撤去に手間どっていた頃は、入り口からまもないところで「立入禁止」だった砂嘴の、いまは中ほどくらいまで行けるようになっていた。
 ……とはいっても、まだまだ工事中、あくまでも関係車両優先、こちらはその間隙ぬっておじゃまさせていただく。

 砂嘴の海岸線には、高さはわからないけれども、遠目にも「おっ」というほど嵩上げされたコンクリート壁が延々とつづき。
 舗装前の砂利敷の道からは、すぐ脇を重量ダンプが走り抜けるたびに、乳白色に溶けた雨水を浴びせかけられ。
 ぼくの取材車はたちまち、屋根まで白いハネだらけに変身させられた。
 その道から、見えるのは左側、松川浦の水だけ、右側、外海の波は見えない。

 「通行止」になった先を遠く見やると、砂嘴の先、陸繋島の鵜ノ尾岬が視野に霞む。
 かつては、この岬に〈潟湖〉松川浦の排水口があったわけだが、堆積する砂にたびたび塞がれ。
 これを解消するため、新たに開削されたのが西側、尾浜の排水口。1910年のことで。
 そこを跨いで架かったのが松川浦大橋というわけ。
 その遠い姿まで見とどけて、白泥みずくになって道を引き返す。

 この道が、松川浦大橋を渡って向こうまで通じるのは、今年度中の予定という。
 それはそれとして……
 どう見ても、観光以外にはとりえのない道にちがいないのダ。

 松川浦漁港の方へグルッと、迂回しながら考えた。
 「やられたら、なにしろ、とりかえす」
 しかないらしい、人間の営みってナンだろう……