どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》2016夏の巡礼-1日目-夜ノ森駅/   〝夜ノ森〟が暗闇から開放されるのは…いつ

-No.1103-
★2016年09月28日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2029日
★ オリンピック東京まで → 1395日














◆8月28日(つづき)

 富岡町の北部内陸、大熊町との境に「夜ノ森」と呼ばれる地域があり、常磐線にも同名の駅が存在する。
 富岡駅で海に迫り出した常磐線の線路も、夜ノ森駅に向けて内陸へ軌道修正している、のだが…。

 ”陸前浜街道”国道6号に並行して、山側を、川内村葛尾村飯舘村と縫って走る、もう一本の”原発被災地ルート”国道399号がある。
 その国道399号川内村から、富岡町へと下る山道の県道36号が、この夜ノ森駅付近で帰還困難区域の立入禁止”金モノ竹矢来”にドンと行く手をはばまれる。
 この県道36号はまた、富岡の町場に入って常磐道常磐富岡ICとも接続。
 そんなこんなで通りかかることが度重なるうちに、気になる地点・風景のひとつになった。

 この土地の住民でも関係者でもないボクは、帰宅困難区域から閉めだされるほかない。立入禁止区域はもとよりダメだし、立入制限区域にしても出入りするには「申請」と「許可」の手続きが要る。
 金モノ竹矢来の向こうには、治外法権のにおいがする。

 「夜ノ森」の語源は、むかし相馬の殿様が「余の森」としたからだという説があるそうだ、けれども。
 いまのキビシい現実を直視すれば、福島第一原発と第二原発の中間、両原発をむすぶラインを底辺とする三角形の頂点にあたる。
 「夜ノ森」には”森の賢者”フクロウをイメージさせるものがあるが、金モノ竹矢来の向こうの夜ノ森は…日中の陽ざしのなかでも、ただひたすら冷たく暗かった。

 そんな町に……このたび、風穴がひとつ開いていた。いやおうなし「そこのけ」門前払いだったその一部、裏の木戸口の閂〔かんぬき〕がはずれた…。
 つまり、立入の禁止・制限区域が少し減った、いうことらしい。
 ぼくらは海沿いの道から国道6号を越え、はじめて富岡の町中に入れた。

 商店街があり、民家の区画があり、公共施設の建物がまじり…。
 しかし、道を行くのは赤色ランプくるくるさせた警察車両であり、住民有志のパトロールカーであり…。
 商店の「立入禁止」札かかったガラス戸は破れ、学校の校庭には除染のフレコンバッグが積まれ、長靴の靴跡が途切れたさきは草茫々…。
 ふと、道を尋ねたくなっても、こたえてくれる人影ひとつなく…。
 すべては震災直後に逆もどりして、現在までの時の経過を示すものといえば、めげず、ひるまずの、雑草の丈の高さと広がりばかり。

 それでも、なんとか…

◆「夜ノ森」駅を探しあて

 気がついてみれば、そこは金モノ竹矢来のほんのちょい先。
 (もうしわけない)とでも言わんばかりに、そこ裏通りの道からは、駅跨線橋の頭とホームの一部だけがわずかに覗けた。
 そんなホームが、雑草もなくたもたれている…フシギ。

 夜ノ森は桜の名所、そして駅はツツジの見どころとしても知られた。
 そんな「かつて」の復活はいつのことか…。
 また、花の復興はおしすすめられても、それを愛でる人々の民情復活は、さて、いつのことか…。

 原発事故の爪あと、罪ふかく、血肉を削ぎきって、骨髄にまで達していた……