どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

嗚呼…国技〝日本柔道〟かスポーツ柔道か/    どっちでもいくのか、いかないのか…

-No.1065-
★2016年08月21日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1991日
★ オリンピック東京まで → 1433日




◆もっと素直にメダルをよろこべ柔道ニッポン

 柔道もすべての競技をおえ、すでに帰国。
 男子は、全7階級でメダル獲得、女子もあわせれば計12個のメダルは…まぁ、まぁ、よかった。
 金メダルなしなんてオリンピックもあったことを想えば、よろこんでいいのだろうが。
 なにかしら、ものたりないのはなぜか。

 選手団出発のときに、井上康生監督が「全階級制覇」を目標に掲げたせい、それもたしかにある。
 ”制覇”は”金”しかあるまい。
 前景気はいつになくよかったし、好成績がおおいに期待されたわけだが。
 それにくらべたら、やはりものたりない。
 ところが、監督のコメントはといえば、これが意外…
「偉大な歴史に名をを刻む7人になった。誇りに思う」
 ほとんど手放しに、涙ぐむほどのことだったのだから。
 あれは、出陣にあたっての景気づけにすぎなかったのだ、内心はホッとしたわけだろう。

 しかし、まだスッキリしないものがのこる。

 73kg級大野將平くんの金は、みごとニッポン柔道ここにありの殊勲であった。
 90kg級ベイカー茉秋くんの金は、その屈託ない笑顔が、これもよかった。
 そうダ…スッキリしない理由は、これだった。この二人をのぞくと…
 12個のメダルにふさわしい笑顔がなかった。
 「連日のメダルラッシュ」と叫ぶテレビにも、違和感があったのはそのせいだ。

 ほとんどが銅メダルだった、つまり決勝の畳には立てなかったから。
 「無念だ」「口惜しい」気もちはわかる。
 でも、メダリストだろ、素直によろこべ。
 オリンピックは、競技柔道である。
 「日本柔道」は別にある。
 そして、これはオリンピックの舞台なのだ。
 オレは柔道ニッポンの選手として、なんて気どりは洒落〔しゃら〕くせぇってもんだ。

 100kg超級の金メダリスト、フランス選手の「ありゃ柔道じゃない」のはたしか…だけれど。
 柔道という武道を、世界にひろめたいと願い、オリンピック競技にと望んだのは、ほかでもない発祥国のニッポン柔道だ。
 国際化するということ、それには夢もあるが、とうぜんリスクがともなう。
 一国の精神(武道)が、そのままに理解され、全世界に普遍するなど、ほとんどありえない。あるとしても難儀な道のりを踏み越えて末のことだろう。
 日本の柔道界も、国際化したときに今日ある姿を想像できたはずである。…ま、ちと想像を超えすぎたというところが、ホンネかも知れないが。
 とにかく、ずいぶんイイ思いもさせてもらったでは、なかったか…。

 日本の柔道は、国際化したときから、世界のジュウドウになった、ということだ。
 日本国民だって、もういいかげん、そのことはおりこみずみ、いまさら負けたからって屈辱とまでは思ってもいない。ただ、やっぱりちょっと寂しい、口惜しいだけである。

 「(日本の)柔道らしくない」などと思い上がるべきではない。
 どうあれ、世界に認められたルールの競技である以上、そのうえでの順位づけが気に入らないというなら、出たがらなければいい。
 出て、金メダルをねらっていたけれども結果は銅…なら、やむをえまい。
 へんに口惜しそうな顔などされると、かえって見苦しい。
 「負けても銅じゃ」アスリートとしてよろこべ、ほしくてもとれないヤツがゴマンといるのだ、失礼であろう。
 応援する日本国民にも失礼であろう。

 その上で、やはり「一本」勝ちの日本柔道でありたい、それこそがほんとうの金メダルだ、いうなら。
 よし、今回屈指のみごとな金メダリスト大野くんのように「段違いの強さ」を獲得してほしい。
 そのうえでの金メダルなら、だれも、もう、文句などあろうはずもない。

 今大会、一定の成績をのこした井上監督には、2020TOKYOをめざして、そんな骨のある選手育成をのぞみたい。
 オレたちは、やっぱり金メダルより、らしい日本柔道が見たいのダ。