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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

天皇生前退位の「お気もち」を汲む…/      法律・制度よりも考え方であろう

-No.1061-
★2016年08月17日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1987日
★ オリンピック東京まで → 1437日




◆時代・環境がかわった

 
 (たいへんにきついから)公務をへらしてほしい、というのでは、ない。
 全身全霊をこめ国民に寄り添うことこそが、骨髄。
 ほかの行為もすべて、この真心にしたがう。
 天皇という日本国・国民統合の象徴としてのやくわり、ほかにない。

 それが、とどこおりなくできていく天皇でなければ、いけない。
 そして、とどこおりなく継続されることをのぞむ、と仰る。

 「おことば」の真意、これにつきる。
 それは、終戦記念日の翌くる日、全国戦没者追悼式で述べられた「おことば」に、ことしも「過去を顧み、深い反省」の思いがくりかえされたことでも、あきらかなとおり。

 そのお気もちに、国民のみなみなが想いを寄せ、賛意を示した。
 テレビ放映を見つめる国民のまなざし、また、天皇のお気もちに寄り添った。

 〈膝を折って〉渾身の親身で寄り添う天皇・皇后両陛下に、こころゆさぶられてきた国民の、正直な心もちである。
 「元気なお姿をもっと見たい気もちだけれど…」「やすらかな日々を…」
 この国民の誠心誠意を、どう酌むか、どうあらわすか。
 こんどは国民・国家のほうに、その度量のほどがとわれている。

 皇統の歴史といい、制度のあれこれをいうけれど、なによりだいじなのは……。
 国民と天皇のあいだで守りあわれる、「尊厳」と「尊重」、これを忘れてはならない。
 保坂正康氏の思いきった指摘、「天皇の人権宣言」と考えていい。
 その意味で、法律・制度の検討にあたっては、ぜひ文化人類学者および民族学者の考察をくわえてほしい。

 すでに神代の時代は遥かに遠く。
 累代のあれこれも、すでに霞のかなた。
 はっきり言えば、昭和天皇で過去の”皇統時代”はおわり。
 いまの今上天皇から、現代・未来の新たな”人間天皇”の時代がはじまる、といってもいい。

 かつてあった大日本帝国憲法、旧皇室典範のもとのでは、政治的な統帥権と統治権をもつ天皇制であった。
 そこに(ある意味ではとうぜん)私人の立場はなく、それまでの時代は戦争の愚行をまねいて終わった。
 戦後の憲法によってはじめて、国民の個人としての自由や権利が認められたのに、天皇を規定する皇室典範のほうは、ほとんど旧態のままであった。

 かわって、とうぜん。
 個人としての、天皇の「お気もち」表明もまた、とうぜん。
 そう考えるのが、自然だし、道理というものだろう。

 美智子皇后が(天皇の理解のもと)とりくまれた〈新しい皇室〉、〈開かれた皇室〉の在りかた追求も、こんどのことをもってその仕上げとなるのではないか。

 政府は、憲法改正の理由を国際的政治環境の変化、時代への対応とする。
 ならば、まずさきに(時代と環境に正対した)天皇の在りかたを正し、国民の信頼を獲得するのが、すじだろう。
 国会は、この国民の付託に、誠実にこたえる義務がある。
 (まさか…よもやあるまいとは思うが)この機を利しての援用(我田引水)などもってのほか、いうまでもなく。
 国民は監視の目をもって見守っているのを、忘れないでね……