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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

天皇「生前退位」の意向を酌む、民の想いと政治の差/〈信頼を利用〉し〈意向は無視〉するあつかましさ

-No.1040-
★2016年07月27日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1966日
★ オリンピック東京まで → 1458日




◆象徴天皇のこと

 「あ…」と、国民ひとしく思ったにちがいない。
 天皇陛下が「生前退位」して皇太子に皇位継承…の意向を示されていることに。

 うなずきつつ、やや首を傾げぎみ(疑問ではなく迂闊)の気分だったろう。
 そうか、それもあるかな…といった気分が、正直あった。
 それが日本という国の、じつにかけがえのない、いいところに思える。

 象徴天皇(日本国および日本国民統合の象徴)。
 そのことを、たれよりも心に深く思い、胸にきざみつけてこられたにちがいない方だ。

 〈主権は国民〉、その意味では立憲君主制憲法に明文化されてはいないけれど)といってもいい。
 乱暴な絶対君主制とか明治憲法時代の〈天皇主権〉(神聖不可侵にして統治権をもつ元首)とは、まるでことなる。

 その意味で、すべてについて〈ゆるやか〉であるべきことに、国民たれも異論はなかろう。
 皇室典範の改訂もふくめて幅広く、あれこれの議論を深め、あらためて象徴天皇に想いをいたすことに、国民たれも異論はなかろう。

 ついては、ここにひとつ、気にとめておきたいことがある。
 天皇陛下は、ご自身の意向、お考えになじまない、このところの国の空気に、憂慮がおありだろう、ということだ。
 「先の大戦」戦没者慰霊の訪問は、その後に成った平和国家の象徴として、ゆるがせにできないものだった。
 不戦のこころがまえ、といっていい。

 しかし、かんじんの行政の長の言動からは、そっぽを向かれるか、少なくとも横を向かれることが、少なくない。

 被災地訪問についても、おなじことがいえる。
 避難所や仮設住宅を訪れたときの、天皇・皇后両陛下の膝を折り、床に手をついての誠心誠意、慰問の姿勢は、たれにも真似ができない。
 皇后と手をわけ、ひとりでも多くの人と接しようとする一念、誠心ひとつにつとめておられる。
 これは、いうまでもなく、あたりまえなら行政のもつべき姿勢だ。

 このことは、まえから、くりかえし指摘してきた。
 災害列島にある日本の、象徴天皇の立場はおもい。
 絶えることのない災害、その対処ぶりにふれては、はがゆいこともあるのではないか。

 しかし、かんじんの行政の長の姿勢からは、たしかなフォローも、意向に添ったものも感じられない。

 それらは、みな、「象徴天皇」の仕事、というか。
 それは、おなじ国民として、性根が違いは、しないか。

 天皇が、象徴でありたくない、などと思われることはあるまい、けれど。
 いまの在りかたが、〈国民統合の象徴〉とは隔たりがあることは、感じておられよう。

 ますます混迷をふかめる世界にあって、この国が重大な進路に迷うようなこともあろう、なら。
 そのときは……
 象徴であれ天皇として、たしかな考えを伝えられる存在でなければならない、想いがあろうということだ。

 心もちしっかり、気もちたしかに、持せるかぎりのつとめ。
 天皇はそうありたい、想いではないか……