どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〈忘れ潮〉の沖縄紀行2016…残波の浜②/    梅雨の晴れ間の暑熱と湿気に〝ギブアップ〟

-No.1037-
★2016年07月24日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1963日
★ オリンピック東京まで → 1461日









◆〈忘れ潮〉最終日の6月9日

 (マイッタな、こりゃ…かなり草臥れちまってらぁ)
 昨夕、津堅島から残波のホテル日航アリビラに帰着したとき、ぼくは感じていた。
 それは、いつもなら、ひと旅おえて吾が棲家に帰ったときに、はじめて感じる種類のものだった。
 つまりは、「お疲れ」の前倒し。

 夕食も、珍しくアルコールの摂取もそこそこに、ベッドにもぐりこみ。
 (坐りこみは、ちと無理かな……と、これはつまり、辺野古キャンプ・シュワブ前に行く、ことを諦める気分にほかならなかった)
 想ったときには、すでに、睡魔にひきこまれていた。

 ……………

 今朝、起きたときに、昨晩の気分を再確認。
 かわりに、せめて、キャンプ・ハンセン沿道を訪れ、遺体遺棄された沖縄女性に慰霊の手をあわせて行こうか、とぼんやり考え。
 しかし、その気さえも、朝食後に腹をこわしていることに気づくと、にわかに萎えてしまった。
 このたび沖縄に来てから、毎朝の腹下しがつづいて、心身を消耗したことが響いていた……
















◆リゾ-トでの休養

 梅雨の晴れ間…とはいいながら、沖縄の陽の暑熱とまつわりつく湿気に、ボクはついにギブアップ。
 やむなく、午後早く帰京の飛行機まで、スペイン風リゾートホテルでの”休養”をあじわうことになった。

 このホテル・アリビラには、二つの趣きのことなる教会がある。
 ということは、祝福のウェディング・ベルを聞きに訪れるカップルも少なくないのだろう。
 そう思ってコンシェルジュに訊ねたら、「多い日には一つの教会で4~5組の挙式がある」という。
 そういえば今朝も部屋のヴェランダから、大きな荷物を運びこむカップルを見かけたものだった。
 ブライダル・パーティーの演出に人気があるらしい。

 「ニライ」と名づけられたビーチはすでに開かれていたが…ひと足はやい夏をもとめてやってきた客たちの多くは、プールサイドに憩っている。
 砂浜で海水を手にすくってみると、まだ少しばかり冷たかった。

 着いた日、オカヤドカリ「ウォーリー」に別れを告げた場所に行って見ると…。
 (7月17日記事参照http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=6653812171404311310
 墓標に立てておいた3つのサンゴ石の、両脇の小さい石は下砂をほじられてもはや傾き、ウォ-リー形見の貝殻(ぬけ殻)はすでに消えていた。
 天然記念物にしては、おどろくほど個体数の多いこの浜のオカヤドカリたちのどれかが、さっそく棲家に〈宿借り〉していったものとみえる。
 大自然の営みは、まことにそつなく抜け目なく巧みなものだった。
 





◆壁掛シーサーをみやげに…

 午後のフライト。
 滑走路を離れ、上昇をつづける飛行機の窓から、ズームアウトしていく那覇の街。
 建て混んだ風景は、日本の都市の特徴だけれど…ここには圧迫感というものがない。
 それは高層ビルの林立というものがないからで、それだけで人を緊張から解き放つものがあることを、あらためて知る。

 ついさっきまで浜砂を踏んでいた残波の海を眼下に見おさめ。
 ぼくは、沖縄慰霊の日(6月23日)が近いことを想った。
 「鉄の暴風」といわれた沖縄戦は、アメリカ軍の残波岬への上陸から始まった……

 ジェット機のスピードは、まもなく本島北部の離れ島を見送って、白く輝く夏雲の層をつきぬけた。

 前回の沖縄の旅では、知らぬ間に一握の浜砂にまぎれこんできてしまったオカヤドカリ「ウォ-リー」が記念だったが。
 こんどは、その「ウォーリー」のなきがらを古里の浜に還し、別れを告げた旅。
 手荷物のなかには、かわりにもとめた記念の壁掛シーサーがある……