読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〈忘れ潮〉の沖縄紀行2016…津堅島②/    島一番の建物、うるま市立津堅幼・小・中学校

-No.1034-
★2016年07月21日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1960日
★ オリンピック東京まで → 1464日






◆島の学校を訪れた

 高台の、港も海の眺めも抜群の一等地、建物もいちばん立派な。
 もちろん島にひとつの学校は、小・中学校をあわせ、幼稚園も隣接する。

 6月8日、水曜日。
 じつはボクたち、ここに訪ねる人があって津堅島にきた。
 玄関で案内を乞うと、Cさんが出てこられた。
 ぼくより年配、傘寿にして、現役の教職にある。

 じつは、Cさん夫妻とボクたち夫婦は、信州奥志賀にある山の宿の古いなじみ客同士。
 幾度か顔をあわせて、沖縄在住のことも知らされていた。

 この方も、自然が好き、旅が好き、人が好きで。
 たまたま訪れた、ここ津堅島がすっかり気に入って。
 ついには、家を建てて移り住み。
 わが家で寺子屋をはじめたのが縁で、さそわれるままに学校の教壇に立つことになった…という。

 冷たいお茶をいただいた後、複式学級を案内していただく。
 1・2年生の教室では、パソコンと連動のプロジェクション・テレビ授業が行われていた。
 ボクたちには子・孫がないので、自分たちの頃からくらべると隔たりの大きすぎる刷新ぶりに、ただ驚くばかり。

 3・4年生と5・6年生は合同で、東京の講師と通信で結ばれたプロジェクト授業に取り組んでいた。
 いっぽう中学生の教室では、ちょうど新聞づくりの最中。
 島のお年寄りから聞いた戦争体験の話しを、手書きの記事にまとめており。
 「その頃のことには、ぜんぜん想像がつかない」と言っていた。
 ここ津堅島も、また、沖縄戦で被害の大きいところだった……

 この学校の在校生徒は、小学校・中学校それぞれ現在12名ずつ。
 島の人口も、学校の生徒数も減るばかりの現状、という。

 終業のチャイムが鳴って。
 ボクたちは、近くにあるCさんのご自宅に移動。
 
 久しぶりに再会の奥さまが、沖縄そばに、モズクの天麩羅などでもてなしてくださり。
 よもやまの話しは、とりとめもなくはずんで、本土へ帰る船の最終便時刻までが、またたく間。
 再訪を約して、島を後に。

 その最終便の船には、授業を終えた学校の先生たちも乗ってくる。
 津堅島航路は1日5往復で、朝夕の2便が高速船、昼間の3便がフェリー。
 高速船は、1時間かかるフェリーの半分、所要30分であった。

 平敷屋港の駐車場は、最終の船便が着いたあと、いっぺんに寂しく……