どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〈忘れ潮〉の沖縄紀行2016…残波の浜①/    オカヤドカリ「ウォーリー」との別れ

-No.1030-
★2016年07月17日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1956日
★ オリンピック東京まで → 1468日









◆「ウォーリー」昇天

 こんどの沖縄行を〈忘れ潮〉の呼ぶことにしました…が。
 じつは、ひとつ、だいじな使命もあったのでした。

 それは、別れ。

 ……………

 このブログに遊びに、あるいはヒマつぶしに訪れてくださっている方のうち、生きもの好き、海とお魚好きな方なら、ひょっとして、過去の記事が記憶にのこっていてくれるかも知れません。
 オカヤドカリ「ウォーリー」のこと。
 その、はじまりは。
●No.0584-2015年4月28日-《戦後70》沖縄巡礼-序曲-珍客ヤドカリ/ぼくらはカレ?…に「ウォーリー」と名を付けた
http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8454420450092771454
 残波の浜から記念にひと掬い、もち帰った砂の中からもそもそ動きだした小さな珍客が、(旅好きが生きものを飼ってはいけない)ヤクソクを忘れさせることになったのでした。

 2回目は。
 まだ沖縄から帰って日も浅かった頃、どうとり扱ったものかもワカラナイでいたボクたちを驚かせたデキゴト、貝殻の転居。
●No.0597-2015年5月11日-《戦後70》沖縄巡礼⑪-「ウォーリー」との出逢い/東シナ海の波よせる明るい砂浜のオカヤドカリhttp://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8454420450093758756
 この一件があって、まだいくらかのこっていた飼育への迷いが、吹っ切れたのでした。
 
 3回目は、試練のとき。
 カレ?にとっては異郷もいいところの東京の酷暑を、ぶじのりきれるかどうかを心配していた、まさにそのときにおきた「ホントかょ!」ごと。
●No.0683-2015年8月5日-ヤドカリ「ウォーリー」酷暑のなかの脱皮劇/どっこい生きてる……生命力にカンパイ!
http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8454420450104126905
 もうナニがあってもダイジョウブなんてもんじゃない、よくぞの命お祝いに、1年後の来春には故郷の残波の浜に里帰りさせてやり、そのまま置いて帰ろうと、ぼくたち、思い決めることにったのでした。

 ……………

 にもかかわらず、運命のイタズラとでもいうのか。
 年が明けて、今年の2月。
 南国系の生きもののため、暖房策をあれこれ模索している最中の、ある日。

 ふだんは、ほんのちょっとした気配にも素早く反応して、ヒュッと殻に身を隠すのが得意のオカヤドカリ
 その「ウォーリー」が、ふと気づいたときには、また、不用意に殻から身をのりだしていました。

 酷暑の夏の脱皮劇を経験しているぼくは、最初は心配しませんでしたが。
 命への思いやりふかいかみさんは、気が気ではない様子、痛いほど。
 といっても、黙って見守るほか、ぼくたちにできることはありません。

 前に、ずいぶん気をもませた脱皮劇は、2昼夜つづきましたから。
 ぼくたちは、3日目の朝にかけて待ったのですが…ついに、ピクリともしないまま。

 食もいたって細かった小さな命は、砂の上で、数日で干からびました。
 「ウォーリー」のなきがらは、脱脂綿にくるまれて、ぼくたちと故郷沖縄の浜へ。
 残波の海の、ホテル日航アリビラのニライビーチに、葬られることになりました。

 いくぶんオレンジ色のまじるサンゴ砂の浜に出たのは、夕刻ちかい頃。
 リゾートの客たちは、ちょうど夕食前のシャワータイムの頃。
 ホテルのプールにも、ビーチにも、遊び戯れる人影は、カップルをのぞいて、少ない頃。

 ビーチの北の外れに、ふだんでも静かな離れ浜があって。
 ウォーリーは、ここで、ぼくが掬いとった砂にまぎれ、東京まで運ばれることになってしまったのでした。
 海浜植物の蔓や枝葉に覆い隠された背後の、サンゴ礁の岩穴のひとつに、小さな棚を見つけ。
 そこにウォーリーのなきがらと、昨夏の脱皮後にのこされた抜け殻の遺物とを、砂に埋め。
 サンゴ石の墓標を立て、ウォーリー最初に持参の貝殻と、転居後の貝殻とを置きました。
 (上の写真、3つある貝殻の右2つがそれ、左端の貝殻は2回目の転居用に用意したものでした)

 ぼくたちが、この、ささやかな別れの支度をするあいだ、足もとでは、びっくりするほど多くのオカヤドカリたちの、あわてて身を隠すコロコロ騒ぎがにぎやかなことでした。そのほとんどが、じつに細かい個体…ウォーリーもこんな群れの一員だったわけです。
 日本では、このように南西諸島に多く見られるオカヤドカリですが、じつは国の天然記念物と知って、(しまったなぁ)と思ったことを想いだします。

 生物学には、「死滅回遊」という概念があるそうです。
 それは、もともとは回遊する習性をもたない生物が、たまたまなにかの要因で古里を離れてしまうこと。
 これは、したがって「古里に還ることのない回遊」というわけ。

 また、せっかくの分散も繁殖にはつながらないことから「無効分散」とも言うらしい。
 吾がオカヤドカリの「ウォーリー」も、いずれ「死滅回遊」か「無効分散」かに分類整理されるのでしょう。

 前に来たときは、まだ早い春先でしたが、いまは…夏。
 浜砂にはグンバイヒルガオが蔓を伸ばし、軍配型の葉の間に青紫の花を開いて。
 亜熱帯植物アダンの実も朱赤色に熟れています。
 オカヤドカリと、グンバイヒルガオやアダンとは、相性がいい。
 人は食べないアダンの実も、大きく成長したオカヤドカリには大好物。

 「ウォーリ-」はざんねんながら、そこまで育つずっと前、ポプコーンとガジュマルの葉っぱしか齧れない幼さで逝きました。

 ぼくたちには、子も孫もないわけですが……
 (あったらなぁ)と想うのは、こんなとき。
 きっと、連れだっての「お別れ旅」になったことでしょう。

 「ウォーリー」には気の毒な月日でしたが、これは、子らにとって健やかな成長の肥やし。
 ぼくらにとっては、人生のお礼肥……