どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

イデオロギーではなくアイデンティティーとして/ ひるまない沖縄のこころがそこにあらわれていた…

-No.1012-
★2016年06月29日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1938日
★ オリンピック東京まで → 1486日





◆オキナワを遠くしているもの

 梅雨空を突き抜けた碧い天空に、モハメド・アリの冥福を祈って……のち。
 沖縄便、機上のぼくは、”遠いオキナワ”の想いに耽った。

 オキナワは、遠い。
 3時間弱のフライトにもかかわらず、もっと、ずっと「遥々」感がある。

 旅人としてのぼくは、北帰行タイプだから、もとより南に行くほど遠いのだった、けれども。
 そればかりではない”遠さ”を、この国の人たちから感じざるをえない。

 北海道から九州・鹿児島まで46都道府県の、どこからも遥かに遠く、どこまでも隔絶されて遠い。
 そうさせているのは、この国の人たちの”よそごと”意識ではないか、とぼくは考える。

 たとえばナニかあったときに、なんの確証もないままに。
 「それは、そういうところだから」と、わけ隔てて、かえりみない態度にあると思える。
 不都合な真実には目を瞑る。
 オキナワに、それが凝り固まったかのようだ。
 頑固に染みついた汚れに、気づかないふりをする……

 そんな、まことにつめたい、”よそごと”意識の蔓延するなかで。
 翁長武志、沖縄県知事の性根の据わりが、きわだつ。
 前知事のように、”とりひき”ごと、とはとらえていない。
 だから、こそ……

 沖縄の在日米軍基地の負担軽減に対する政府の取り組みを、
「安倍政権はやることはやると言葉は勇ましいが、逃げ腰のようにみえる。いまのところ約束違反ではないか」
 ズバリ、指摘できる。

 米軍関係者による犯罪の絶えないわけを、
 日米地位協定につよく裏うちされた”こころのゆがみ”と、言いきれる。

 いっぽうで。
 沖縄県には、この春「空手振興課」が新設された。
 空手は、沖縄が発祥の地。
 もちろん「2020TOKYO」、オリンピックを意識してのことだ。
 追加競技に選ばれても、本番会場になることはあるまい、が。
 海外勢、事前合宿の地に期待を寄せる。

 そればかりでなく。
 空手は「平和の武術」だということを、世界に伝えたい思いもある。
 琉球王国時代、軍事力に勝る周辺国と交流するなかから、あみだされ育まれてきたのが、沖縄の空手であったからだ。
 沖縄の空手の形〔かた〕は、すべて、突きやけりではなく、「受け」から始まる。
 争わないため、他者を傷つけないため、自身や家族を守るために鍛錬する。
 「空手に先手なし」という言葉もある……

 それでも、沖縄はやはり地理的に、遠い。
 ならば”訪ねる”ことで、遠さを超えていくしかない。
 ぼくたちの、こんどの〈忘れ潮〉の沖縄行も、そんな気もちのあらわれ、といっていい。
 (なお、いうまでもないと思うが〈忘れ潮〉とは、満潮のとき岩やサンゴ礁などのくぼみに溜まった海水が、干潮になってもそのままにのこされたもののこと。ぼくは、そこに〈想いのこし〉の意をこめた)

 その日、6月5日(日)は沖縄県議会選挙の投開票日。
 昼どきに着いた那覇空港の空気は、穏やかで明るかった。
 昨年もつよく感じられたことが、より自然ないろあいになっていた。
 
 帰宅後19日に行われた那覇の県民大会では、「(沖縄の)怒りは限界を超えた」ときっぱり表明されたものが、そこに、じかに感じられたわけではない、けれども、無言の明るい表情のなかに、その思うところは、しなやかにつよく示されていた。

 翁長知事の言う「イデオロギーではなくアイデンティティー」とは、このことだ。
 デモという大衆行動は、青壮年ばかりでなく、たとえば乳飲み子を抱えた母親たちの参加があったとき、もっとも力づよい、ということがある。
 そのように……
 もはや保守とか革新とかの垣根を超えて、ということだった……