どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

荒川ロックゲートと中川船番所跡を訪ねる/    江東(海抜)ゼロメ-トル地帯のスーパー堤防

-No.0997-
★2016年06月14日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1923日
★ オリンピック東京まで → 1501日










◆下町のにおい江戸のにおい

 海辺の切り口ほど鮮明ではないけれども、境界としての川の存在は自然に生きることの意味を諒解させる力があって好きだ。
 これに、人口の掘り割り(運河)が一枚かんでくると、営々と水との付きあいに勤〔いそ〕しんできた人々の姿、垣間見えて、ふと江戸の匂いも嗅げる。

 幕府肝いりの、いかにも、舟足の軽い猪旡舟〔ちょきぶね〕や荷舟の往来の似あう、小名木川〔おなきがわ〕などの風情がいい。

 初夏めく一日、都営地下鉄新宿線東大島駅に降りた。
 この駅そのものが旧中川の流れを跨いで、東口江戸川区に、西口は江東区にある。
 東京の下町を流下する川の流れと名称は、さきほどもふれた掘り割りの掘削もふくめ、複雑でわかりにくいものになっているが、ここでは散歩の風景のままに細かい説明ははぶく。

 ぼくは西口、江東区側に降り、旧中川の畔を南下した。
 岸はプロムナードが整備されて歩きやすい。
 中川大橋にでると、たもとに中川船番所資料館。

 江戸の物流を担った、いわば川の関所で、江戸-行徳(現在の千葉県市川市)間を往き来する船調べの場が、資料館のすぐ下流、小名木川に入る中川口にあった。

 ただし、この日は月曜日で資料館は休館日。
 公立の施設に月曜休みが多いのは先刻承知でなければならないのに、このへんがボクはどうも、散歩の達人にはなりきれない。というか、展示施設よりも、そこに人の生活もある風景のほうがずっと親しいのだから、やむをえない。

 船番所資料館のすぐ前、岸辺が公園に整備されて「旧中川・川の駅」とやらになっており、折しも上流の方から水上バスらしきものが水面をすべってきた。
 しかし、いまどきの水上バスにしては見た目がいまひとつ垢抜けない…と思って、後で調べたらこれがなんと、水陸両用バス「スカイダック」なのだという。
 スカイツリーを起点に、陸路を走り、ここ東大島で旧中川に浮かんで荒川ロックゲートまで水上運航、それからまた陸路を走ってスカイツリーに還る、人気の予約コースになっているとやら。

 近ごろは、こうした都市アメニティーが盛んになるばかり。
 (幸せな…)と感じながら、ぼくには同時に(格差だな…)とも思えたことだった。

 番所橋で小名木川を渡り、平成橋で旧中川を渡ると、江戸川区
 目の前の大きな流れが荒川。
 そして、旧中川と荒川とを結ぶ荒川ロックゲートに出る。

 ぼくが、長途5時間余という東京水上バスの旅をして、ブログ記事にしたのが2012年6月5日のことだった。
水上バス“いちにちゆらり旅” −岩淵水門・ロックゲート・両国国技館− - 渋柿は夜汽車にのって…〈三点リーダーの記〉
 右の写真は、その折、荒川の水上バスから撮ったもので、ゲートの威容はこのほうがよくわかる。

 この閘門〔こうもん〕、スケールに雲泥の差はあるものの、スエズ運河パナマ運河の通船方式とシステムとしては同じ。
 江東地区の地盤沈下で水位差が最大3.1mにもなった荒川-旧中川間に船を通すための水位調節装置。兼、緊急時の救援物資輸送路の役にも立てようと、2005年に完成したこのロックゲートは阪神大震災クラスの地震にも耐えるように設計されている。
(人体の肛門とはまったく別だけれど、調節作用をすることでは似ていなくもない、ところがおもしろい)

 ロックゲートの堅固な門構えは、高い方の荒川側で6階建て。
 階段を上るにつれて西に、スカイツリーがだんだんに背伸びしてくる。
 見晴らしのいい屋上は、かなりきつい川風の通り道でもあった。

 川岸に下りて、荒川と旧中川の狭間の堤防、江戸川区小松川を歩く。
 上流側に船堀橋、下流側には葛西橋の向こうに清州大橋。
 
 大島小松川公園になっている緑の岸は、「スーパー堤防」。
 賛否の声はいまもつづくようだが、見渡すかぎりの江東(海抜)ゼロメートル地帯、そのあまりの広さをに、ほかにとるべき方法も見あたらない気がする。

 要は、対費用効果のほど、ということだろう。
 人間が、自然との共生を念頭におかないままに得手勝手をすれば、報いがある。
 思えば、高度経済成長時代の気ままな地下水汲み上げが、いまのゼロメートル地帯、洪水の危険に曝される現在をまねいている。
  
 スーパー堤防には「小松川千本桜」の植栽がつづき、人々が散歩に、サイクリングに、三々五々親しみ興じていた。
 ふだんの情景としては、もうしぶんなく気もちが晴れ晴れ……