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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「でべら」と「花の命」…青春前期の尾道なつかし/幼な子は「小ぃっちゃいお船ョ」といった

旅・散歩・遊ぶ 生活・食べる・飲む周辺

-No.0978-
★2016年05月26日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1904日
★ オリンピック東京まで → 1520日




◆「でべら」

 夢が…奥深い心の襞からか、脳髄の波打ち際からか知らないけれども…。
 蟹の泡を吹くように、不意に姿をあらわすことがある。

 「でべら」と夢中で呟いて。
 ぼくは眠りの水底から目覚めへと浮上しながら。
 もうひとつ別な呟きが洩れてくるのにまかせた。
 「花の命は短くて」…「苦しきことのみ多かりき」

 そうして。
 島通いの船が発着する港の岸で、ひとり遊びの女の子は、おませな口調になっていったのだ。
 「そっちはねぇ、と~っても小ぃっちゃいお船ョ」

 ……………
 
 これが、ぼくの尾道だった。

 ……………

 学校が冬休みにはいって、クリスマスが近づく頃になると、ぼくは追われるように夜汽車に乗って都会を離れるくせがついた。
 「ジングルベェ…」とか「き~よし~このよる~」とかで、かたちばかり浮かれる世間が嫌で、逃げていた。
 昭和30年代、中頃の当時、クリスマス騒ぎもまだ、地方まではさほどおよんでいなかった。

 高校に進学してすぐの冬は、瀬戸内を訪ね、一日、尾道を歩いた。
 『放浪記』林芙美子の足跡をおいたい気分だった。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
 彼女が好んだという、言葉のふるさとに触れたかった。

 昼間は、ゆるくない坂道をひたすら歩きながら、多島海瀬戸内の風光、景物に、心なぐさめられようとした。
 この冬の旅は、失恋の傷心を抱いていた。

 ふところさみしい高校生の宿は、ユースホステル
 そこでは、ざんねんながら酒が呑めない(ぼくはすでに酒の酔いを知っていた)。

 散歩に出て、赤提灯の縄暖簾をくぐり、「でべら…を」炙ってもらって、燗酒を啜った。
 きょう、坂道を下りた浜で出逢ったばかりの、薄い干魚の名の響きが忘れがたかった。
 それは、ごく小型のガンゾウヒラメとやらの素干で、細い縄にひと並びに吊るされ、風に吹かれ、冬の陽に透けていた。

 噛むと堅いなかから、ジワッと潮味にとけた旨味が、涙みたいに滲みでてくる。
 「でべら」酒を啜っているうちに、いつのまにか、おもては音もない雨模様。

 ぼくは、また海辺へと歩いて、ぴたりと風のやんだ雨空に見入った。
 その雨は、ツツーーーーーッと、それこそ絵のように糸をひいて闇の水面に消えていく。
 天から垂らされた釣り糸のごとく…であった。そうして、
 その雨の釣り糸を、孤独な海の底の魚が呑む…のであったか。
 たしか、そんな室生犀星の詩があったように思う。

 寂しさに、島通いの船の発着でにぎわう港に出ると。
 待合所の外で、小さな女の子がひとり遊んでいた。
 母親が船の切符を売っている、とかいうことだった。

 狭い水道を挟んですぐの向島因島は、島も大きく町つづきと変わりなく、船も〈フェリー〉然としたものだったが、旅心には気おされるものがあって。
 もっと小さな島に渡ってみようか…と。

「どんなんかなぁ」
 ぼくが尋ねると、女の子は縄跳びの手をやすめ、きゅうに大人びた口調になっていったのだ。
「そっちはねぇ、と~っても小ぃっちゃいお船ョ」

 ぼくはガクッと気もちが折れ、結局、島へは渡らずに帰ってきた。
 「でべら」を土産に。
 「包丁の背で叩いてから炙るといい」と教えられて。
 その通りにしてみると、なるほど尾道、赤提灯の味がして、思わず目が潤っとなってしまった。

 包丁(出刃)の背や、木槌で叩くと「柔らかくなるよ」と言われる干物は、その後、北海道でも出逢った。
 氷下魚〔こまい〕がそれで。
 八角なんかも、堅い干物は叩いたほうがいい。
 九州では有明海の特産エイリアン、ワラスボの干物も、ちょっと叩いて炙ったほうがいいようだ。

 身の薄いのや堅い魚、干物にしたのを炙る前には、どうやら叩いたほうがいいらしいのは、骨や髄から滲みだす滋味があるからかも知れない。